クリスチャンになっても、自分の心のうちをみると、その罪深さに、気づく。
命までかけて救ってくださったイエスさまに、申し訳なく思う。
でも、今週の礼拝の中で、「いままで気づかなかった罪に気づくようになったことも、イエスさまに取り扱われていることの証明ですよ」って言われて、なるほどと思った。
確かに、クリスチャンになる前だったら、自分の罪について気づいていないことが多い。
世間では、クリスチャンというと、清く正しいってイメージがある。
でも、そんなことはなくて、むしろ病人のために医者がいるように、自分達 罪人のために、救い主 イエスさまが必要だと思っていることが多いと思う。