新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

イエスさまも洗礼を受けられたの?

①わたしが所属する神召キリスト教会の1月19日の夕礼拝に参加しました。夕礼拝は、日曜の19時からやってます。ない日もあるので、教会のホームページで確認してください。http://www.shinshochurch.org

 

②パプテスマのヨハネ

預言者イザヤの書に「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう」と言われていることの成就。イエスさまの前に、道備えをされた。

 

③パプテスマのヨハネは、罪の赦しのための悔い改めのパプテスマ(洗礼)を人々に授けた。

 

④イエスさまは、罪がないので、本来であれば、罪の赦しのための悔い改めのパプテスマ(洗礼)を受ける必要がなかった。

 

バプテスマのヨハネは、私こそ、あなたから洗礼をうけるべきと語った(マタイの福音書3:14)。

 

⑥なのに、イエスさまは、あえて洗礼を受けてくださった。その意味は、イエスさまが、わたしたち人間と同じになってくださり、私たちと、いつも、ともにいてくださるため。罪びとを愛し、罪 びととともにいてくださる。

 

⑦それによって、十字架にかかり、私たちが受けるべき神のさばきをイエスさまは、全部受けてくださった。

 

⑧ローマ人への手紙6章4節「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」

 

⑨イエスさまが、私たちのみがわりになって死んでくださった。→私たちも、罪に死んだものとされた。

エスさまが復活された。→わたしたちも、新しい命に生きるもととされている。

 

⑩洗礼

水に沈んた後に、水からあがってくる。
→新しい命にいかされている。キリストをよみがえされた命にいきている、ことを示している。理屈ではなく、人生が変えられる。

 

⑫イエスさまは、罪はなかったが、洗礼をうけてくださった。人間の罪のさばきを負い復活し、いまも私たちと一緒にいてくださる。

 

⑬『そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』(マルコ1:10-11)。

→父なる神さま、聖霊(御霊)、イエスさまが、イエスさまの洗礼にあって登場している→三位一体の神を示している。

⑭洗礼を受ける
→牧師が救うわけではない。
三位一体の神のみわざ
父なる神様、イエスさま、聖霊によって洗礼を授けている。

 

⑮天が裂けるとは、物理的なものというより、神ご自身が我々のところに、きてくださることを示している。

 

⑯我々は、その罪ゆえに、神さまと断絶していた。イエスさまがその断絶を取り払ってくださった。マルコ 15: 38において、イエスさまが十字架にかかって死なれたときに、神殿の幕(至聖所の幕)が上から下まで真二つに裂けたのと同様の意味。

 

⑰イエスキリストを信じる人

→罪による、神さまとのへだたりがなくなる。

→父なる神さまに祈ることができる。神の至聖所に入っていくことができる。

 

⑱すべての善きものは、神さまからでるのに、罪ゆえに、神さまと断絶していた。いまは、悩み、問題、孤独などについて、はばかることなく、神さまに祈ることができる。

→イエスさまが道をつくってくださった。

聖霊か住んでくださる。大胆に祈り、慰めをうけることができる。

 

⑲あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたをよろこぶ
→イエスさまだけに語られたのではない。
エスさまを信じる私たちをも、こどもとして、導いてくださる。救いが与えられる。

 

聖霊があたえられている。

人間の力で聖書を極めることは出来ない。神さまをぜんぶ知ることも出来ない。

しかし、私たちの中に、聖霊がおられる。
聖霊がイエスさまを証してくださる。
実体験させてくださる。

洗礼をうけなくてもイエスさまを救い主として信じ告白するなら、聖霊は、住んでくださる。ただ、洗礼は、祝福だし、恵み。結婚も二人だけで入籍することもできるが、結婚式をあげ祝福をうけることが大事なのと似ている。

 

(21)洗礼を受ける前と後では、ちがう。

温泉について、いろいろ調べても、飛び込んでみて初めてわかることがある。

聖書の言葉だけでよいかな?って思う人もいるかもしれないが、洗礼を受けることで、また、さらに聖霊バプテスマをうけると、聖書の御言葉を、外面からでなく、内側から実体験としてみることができるようになる。聖書の御言葉を体験するように読める。宝のような言葉を実体験することができる。

<感想>

エスさまは、罪がないのでパプテスマをうける必要はなかったが、私たちと同じ人間となって、私たちとともにいてくださるために、あえてパプテスマをうけてくださった。イエスさまは、十字架にかかって私たちの罪のさばきを負ってくださり、復活してくださった。私たちの罪のために、断絶していた壁を取り除いてくださった。聖霊なる神さまは、私たちとともにおられ、イエスさまのことを教えてくださる。洗礼をうけ、聖霊のパプテスマを求めていくことは、恵み。聖書のみことばを、単なる知識として読むのではなく、内側から実体験として読むことができるようになる。