新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

12月30日 礼拝

今年、最後の礼拝に、神召キリスト教会にいってきました。

①どんなところにも主(しゅ)なる神さまは、おられる。
②今年は、神召キリスト教会で多くの人が洗礼を受けた。特に、神さまは、若い、子供達に目を留めてくださった。主に養われて、成長してほしい。
③私たちも、目標に向かって成長したい。
④目標といっても、近視眼的なことではない、永遠の都、御国である。そこを見つめて、そこに行くために、しっかりとイエスさまにあって、聖霊なる神さまに導かれて進んでいきたい。

⑤地にあっては、困難がある。注意して生活すべき。
旧約聖書 ヘブル人への手紙18章によれば、
「 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」
また、この世にしか感心をもたなかったエサウのようであってはいけません。
⑦聖さ(きよさ)というのは、イエスさまを基として(もといとして)生きること。
⑧毎週の礼拝→当たり前のことではない。
⑨神さまが招いてくださっているのでなければ、礼拝に参加できない。SNSなども発達しているが、実際に、神さまによばれて、教会を集まってそれに応えて、神さまの臨在を実体験するのが大切。
⑩マタイの福音書18章20節によれば、「ふたりでも三人でも、わたし(イエスさま)の名において集まる所には、わたし (イエスさま)もその中にいる 」
⑪コンサートとかでさえ、実際に参加すると、ユーチューブで聴くのとは、おおきな違いがある。
⑫昔、人は、シオンの山(神の山)に近づいてはダメだった。神さまに、むやみに触れてはいけなかった(出エジプト 19章12節)。罪がある我々は、神さまを見ただけで、さばきを受けてしまう。
⑬現在は、イエスさまの、十字架によって罪が許されている。罪がないものとされている。もし、タイムマシーンがあって、罪許された我々が、モーセのいた時代に行けるのなら、シオンの山に登っても、もはや、さばきを受けないだろう。
⑭むしろ、今は恵みの時代。はばかることなく、「アバ、父よ」と神さまに祈ることができる。
そのために、御子イエスさまの十字架という、大きな犠牲が払わられている。
十字架のみわざ。聖書は、たんたんと書いているが、イエスさまが受けた痛みは、どれほど大いな痛みだったか。それによって、私たちの罪がゆるされた。
⑮今は、お祝いをし、喜ぶために教会に集められている。
⑯まだ、悩みはある。でも、悩みを神さまの前に一旦、置いて、礼拝してみる。
→神さまとの交わりの中に入れてもらう。
⑰かならず、神さまは、一番よい時期に悩みから解放してくださる。イエスさまが一緒にいてくれるというのは、勝利。悲しみや苦しみがあっても、イエスさまがいてくださり、いつも交わることができる。
⑱現実逃避ではない。信仰によって解決される時を待つ。
⑲主なる神さまは、勝利であり、命であり、勝ち得てあまりある方。
天地すべてを創られた神さまが、共にいてくださる。
主の臨在(私たちと共におられること)を望んでいる。→すべての解決。
私たちのの状況をご存知でらっしゃって、のちの日、かならず勝利で満たされる。口に讃美がある。
私たちが苦しいときは、背中を押してくださり、もっと苦しいときには、おぶってくださる。
⑳私たちが、神さまを信じて罪許され、救われることを神さまは喜んでくださる。
今、この地上においても、天国の喜びの「前味」をさせてくださっている。
全国に教会はあるが、地域はちがっても、同じ時間に礼拝する。イエスさまからみれば、一つの礼拝。家族、友人が神さまを信じることができるように、祈りつつ、諦めず、ときを待って、一緒に神さまを礼拝できることを期待する。

畏れをもって神の前に出る。我々は、神さまにあって喜ぶために集められる。
アベルの血よりはるかに優れたイエスさまの血潮によって清められる。

エスさまを拒まない。
明日ではなく、今日、今!
神の言葉をきいたならば、したがっていこう!
今を大事にしていこう、「永遠」が関わっているのだから。命がかかっているのだから、拒む必要はない。
今を逃すといつになるかわからない。
いっさいのものが滅ぼされても、主なる神さまの言葉は永遠に残る。
天の御国(みくに)は、神さまの言葉によってなっている。
天の御国は、揺り動かされることなく、残る。
エスさまを信じる我々は、その御国の民(たみ)とされている。死から命へと移されている。

私たちには、それでも弱さがある。
エスさまと一緒にいた弟子たちでも、イエスさまの十字架をみて、自分も捕らわれて殺されると思ってイエスさまを知らないと嘘ついてしまった。
それでも、イエスさまは、イエスさまの方から来てくださって、たち直させてくださった。主なる神さまの方から近づいてくださる。

このような方が世の終わりにまで、一緒にいてくださり、その言葉によってなる御国は、揺るがない。
神さまを信頼して歩んでいきたい。

感想
2018年の最後のメッセージを聞きました。礼拝で、神さまを喜ぶことの恵み、神の言葉、御国は、揺るがされないこと、弱い私たちの方に、神さまの方から近づいてくださること、イエスさまを拒まず、今日、今、信じればよいことがわかりました。