新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

神召キリスト教会の礼拝 2017.05.07

神召キリスト教会の礼拝に参加しました。
メッセージ箇所は、新約聖書のピリピ人への手紙2章12節から18節。メッセンジャーは、神召キリスト教会の高橋正人牧師でした。日にちがたったので、忘れてきましたが、だいたいこのような内容でした。


(1)「へりくだり」、「従順」は、道徳でも、学ぶ。
(2)でも、聖書にいう、「へりくだり」、「従順」は、違う。

(3)誰を見倣って、へりくだるか、従順であるべきか。

(4)イエスさまに倣うべき。

(5)神さまであるイエスさまが、我々と同じ人となってきてくださったこと(ピリピ2:6)←へりくだり

(6)十字架にかかるという、死に至るまでも、みこころに従い続けたこと(ビリビ2:8)←従順

(7)みことばを疑わずに、行っていく。

(8)主なる神さまがやってごらんなさい、といわれたときに、おことばですから、といって従っていく。

(9)ゲツセマネでの祈り
「あなたのみこころがなりますように」

(10)知っていることと、行うことは、違う。主なる神さまが、言われるなら、実行していく。

(11)へりくだるにしても、人間の力には、限界がある。
→神さまが、志、思いを与えてくださる。
→しかも、志を達成させてくださる。

(12)「曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり」なさい( ピリピ2:16)。

(13)「傷のない」は、「真っ直ぐにされる」の意味。

(14)曲がった世にあっても、みことばに従って、真っ直ぐでありなさい、と言っている。

(15)信仰も、曲げられやすい。

(16 )みことばに従って、真っ直ぐであろうとすると、損したり、摩擦や嫌な思いを受けたりすることがある。

(17)でも、私たちは、主なる神さまの前にあって、神の子供とさせていただいた。

(18)損したように思っても、主なる神さまは、見ていてくださる。

(19)足りない部分があれば、補ってくださる。

(20)「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」
→みことばにしたがって真っ直ぐに立っている。
→世の光として、星のように輝かせていただく。
→ほんの小さな光も、闇を突き破っていく。

(21)人からの栄誉を受けず、誰にも認められなかったとしても、しっかりと信仰にたっていくと、主なる神さまは、覚えてくださる。
→その歩みが、周りの人を照す。

(22)パウロも、人間的な考えで行動したわけではない。人からの評価を気にして歩んだわけではない。
→神さまから志を与えられ、歩んだ。
→結果として、パウロ書簡として新約聖書に残るような働きにさせていただいただけ。

(23)キリストとともに歩み、主なる神さまの働きに参加させていただく。→喜び



恵みに富むメッセージでした。
私たちは、やはり人から認められたいし、誉められたいって思いがちです。でも、曲がった世にあって、みことばを握って、真っ直ぐに立ち、歩んでいくことが、大切だなって思いました。その歩みが、まだ主なる神さまを知らない周りの人をも、照らすのだなって思いました。