新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

2019年1月6日新年礼拝 神召キリスト教会

教会は、日曜日が大晦日になろうと、元旦になろうと、礼拝をしてます。
1月6日は、新年がはじまって最初の日曜日でした。
新約聖書のⅠぺテロ1:1-9から、
「生ける望みを持つ」というメッセージをききました。

(1)昨年より、今年の方が、イエスさまの再臨(キリスト教で、世界の終わりの日にイエスさまがもう一度この世に現れること。)に近づいている。
→たしかに。

(2)信仰の備えをしよう!

(3)ぺテロ第一の手紙は、迫害下にあるクリスチャン達にむけて書かれた。
ローマ皇帝ネロによる迫害
→逃れて、ちりじりばらばら。

(4)信仰を失うことのないように、はげまし。

(5)ぺテロは、手紙の冒頭で
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。」と語った。
→迫害されて、死ぬか生きるかの状況なのに、
この言葉がはげましになるの?
→一見すると、もっと、生き延びるための方法論とか、具体案とかを語るべきでは?とも思える。

(6)しかし、誉め称えることが困難な状況であっても、現実をしっかり見て、まず、神さまを誉め称える。それが励みになる!
→これは、現実逃避とは違う。

(7)なぜ、父なる神さまを誉め称えるべきなの?
→神さまは、あわれみによって、生きた望み(希望)、大きな喜びを与えてくださる。

(8)何らかの希望があると、生きる原動力になる。
→希望って何?

(9)世の中の希望
→多くある。
→健康、財産など。←これらを得るために努力することは悪くない。

(10)但し、世の中の希望は、一時的
→この世の中のものは、いっときは良いが、つかの間。世の価値観も変化していく。

(11)良い学校に入って、良い会社に入って、、、、という考え方がある。
→一昔前は、一流校に入ってという意味だったが、
現在では、必ずしも一流校、二流校に入らなくても、自分の天性と思える仕事をしていくことが良いという考え方に変わってきた。

(12)元号も変わる。この世の中の価値観も人も変わる。若者と上手く付き合うコツ→若者のことを宇宙人と思って、なかなかコミュニケーションが取れないことを前提につきあう→世代によって考え方が大きく相違

(13)この世の中の単一の希望をもっていれば、それで十分ってものではない。

(14)「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:6〜8)
→この世の中のことは、草や花のように枯れていくもの。主なる神さま(しゅなる神さま)の言葉は、変わらない。

(15)神さまを誉め称える理由
→3つある。

(16)誉め称える理由 第1番目
新しく生まれさせてくださったこと!
→新しい命に活かされている。
→たしかに、肉体は衰えていく。
→しかし、
新約聖書の第一コリント4章16:節
「4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
→神さまを信じたときに、新しい命に生きるものとされた。

(17)しかも、新しい命は、私たちのの努力、熱心さ、強い身体などによるのではなく、神さまの、憐れみによって与えられる。
→感謝

(18)神さまを信じると、どうなるの?(大別して、3つ)
→義なるものとされる、神の子(御国の世継ぎ(相続人))とされる、永遠の命が与えられる。

(19)御国の世継ぎ→神さまが与えようとされている資産を全部もらえる!
→すげー!!!

(20)永遠の命
→天国にいって初めて与えられるのではなく、神さまを信じたときに、すでに与えられる!!
→それを表しているのが、洗礼式。水につかって、一度死に、水から起き上がって、新しい命が与えられることを示している。

(21)たしかに、罪はある。弱さもある。
→しかし、イエス・キリストとともに歩んでいける。

(22)キリストにある命が宿っている!
→信じている限り、私たち1人1人とともにいてくださる。←神さまのあわれみ!

(23)集会に沢山参加してるからとか、賛美を沢山してるからとか、奉仕をしてるからとかで、永遠の命が与えれているわけではない。
→行いによるのではない(新約聖書 エペソ2:4-5)

(24)神さまを誉め称える理由 第2番目
イエス・キリストが、復活してくださった!
エスさまが私たちのの罪のために死んでくださった。→たしかに、大きな御業(みわざ)
ただし、死んでくださって、それで終わりなら、
私たちは、まだ悲しみの中にいる。

(25)イエスさまは、三日目に、よみがえってくださった!
エスさまは、初穂。それに続く私たちも、それに続く穂として、イエスさまが、再び、よみがえらせてくださる!
→何歳の姿でよみがえるのかは、わからない。
→ただし、永遠に朽ちることのない形でよみがえる!

(26)神さまを誉め称える理由 第3番目
望みを持つようにしてくださった!

(27)神さまを信じると、聖霊なる神さまが、私たちの身体に住んでくださる。

(28)聖霊が、聖書の言葉によって私たちを活かしてくださる!
生きていくめの力、健康、能力、職場環境など、自分でつくったようでいて、自分でつくったわけではない。
→自然科学の世界であっても、なぜ水が凍るのか?という問いに対しても、究極的には、神さまが、そのように定められたと言わざるをえない。
→我々は、自分で生きているようでいて、自分の力だけで生きているわけではない。

(29)人の臨終に立ち会うと、神さまが、命を与えて、ときがきたら、とってくださることを感じる。
→神さまに、生かされている。

(30)しかも、無対価で命を与えてくださる。

(31)私たちは、このような恵みを与えてくださるキリストを見てはいないけど、たしかに、キリストの救いを信じさせていただいている!
→たましいに、安らぎが与えられる。

(32)見ることができるから信じるというのは、信仰ではない。見ないでも信じるのが幸い、信仰。

(33)神さまを見ることができたら信じられるのか?
→そうともいえない。
使徒ぺテロなど弟子達は、三年半、イエスさま(神さま)と寝食をともにしていた。
それでも、イエスさまが十字架にかけられたとき、逃げていった。信じきれてはいなかった。
→そのあと、ペンテコステの日に聖霊がくだり、信仰が強められた。

(34)信仰をみてくださる。もっとイエスさまを体験して知っていくことができる。

(35) 困難、問題を通じて、純粋な信仰に成長させてくださる。

試練によって、不純物が取り去られる。
神さまが与えてくださっている恵みを思うとき、父なる神さまを褒め称えずにいられない。

(36)様々な方法で、いまも神が生きておられることを見させてくださる。

(37)聖書は、神がいるか、いないかについて書いていない。神さまがおられることを前提に書いている。

(38)聖書の、みことばを通して、
教会を通して、
教会でのクリスチャン同士の交わりを通して、
神さまが生きていることを体験し、
神さまを頼りにしていくなら
決して失望に終わることはない。

こんな感じのメッセージでした。
最後まできくと、
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。」ということが、苦難の中にある人達への励ましになるのかがわかりました。

私にとっても励みになるメッセージでした。