新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

神召キリスト教会 4月7日 礼拝メッセージ

神召キリスト教会の礼拝に参加しました。
毎週日曜日 朝10時30分から礼拝があります。

本日は、高橋正人牧師がメッセンジャーを勤められました。
聖書箇所は、旧約聖書イザヤ書55章。
題は、「安らかに導かれる」でした。


(1)イザヤ書は、40章から、おもむきが変わる。

(2)40章~55章は、第2イザヤとも言われる。→救い主が与えられること、ゆるし、回復、なぐさめ、祝福が与えられる ことが記される。

(3) 1章~39章は、神さまによる「さばき」が語られる。
→バビロン捕囚を語られる。

(4)神さまは、さばきをしても、さばきのままで終わらせない。
→滅びのままで終わらせない。
→常に、神さまが語りかけてぐださる。命、恵みを与える約束

(5)イザヤ書53章、54章
後の日に、救い主が与えられることを預言。
→再建される!、罪が 許される。

(6)人間は、目先のことにとらわれて、未来のことが語られても、自分たちのことと受け止めることができない。

(7)イザヤ書53章 苦難のしもべ
→神さまの前に、私たちのために、さばきを代わって受けてくださる!
→救われる。
→イエスさまのこと!

(8)その救い主を待ち望め!と、私たちを招いてくださっている。

(9)「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。」(イザヤ書55章1節)。
→大盤振る舞い!、代金をはらわないで、救いという良いものを貰える。

(10)我々は、渇いているか?
聖霊なる神さまに飢え渇きたい!
→もっと、聖霊に満たされたい!
→すべてのことを満たしてくださる。

(11)目先のことを祈るのも悪くないが、聖霊に満たされれば、他のものは、添えて与えられる。

(12)世の中では、ただより恐いものはない、とも言われるが、神さまは、異なる。
→神さまは、必要なら全部、ご自身でつくることができる。
→満たしてください!という願いに、神さまは、応えてくださる!

(13)ただで救いをいただいた私たち
→代価は、神さまが払ってくださっている。
→代価は、神さまの命、イエスさまの命!
→それは、神さまが、私たち一人一人を大切に思ってくださっているから!

(14)神さまに愛されていることを知る!
私たち一人一人が、神さまに愛されていることを知れば、私達は、神さまに、応えていきたい!との思いにかられる。
→神さまを愛して愛してやまないようになる。

(15)悪いことをしてきたことを神さまが赦してくださった。
→それを知ると、神さまを愛してやまない。

(16)ルカによる福音書7章
「 ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
「シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。」
→多く赦された者は、多く愛する。

(18)神さまが、私たち一人一人を深く愛してくださってることを知れば、自然と、神さまに応えていきたい、という気持ちになる!

(19)神さまの愛
→十字架に表されている。
→このことは、教会学校でも、よく語られる。
何度も聞いた話、当たり前と考えがち。
→ただ、知識としてではなく、「あの十字架は、私のためであった!」と真に知ることが大切。
→これが心の底からわかれば、牧師がメッセージで何を語らなくても、人は教会に来る。来るなといっても、来ざるにはいられない!

(20)神が救いを与えてくださるというのだから、受け入れればよい。

(21)期限がある。
「主(神さま)を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ書55章6節)
→戸が閉じられるときがくる。
→この世における個人的な終末、「死」というときもある。
→必ずしも年の順に亡くなるわけではない。
→誰も、明日、生きているかはわからない。
→それまでに、イエスさまを信じる必要がある。
イエス・キリストを信じるのならば、救いの話を聞いたら、いますぐ、このときに、信じるのがよい。
→1ヶ月、一年先と先延ばしすると、忘れてしまう。

(22 )物事を頼むときは、忙しい人に頼むほうがよい。
→忙しい人は、すぐに動いてくれる。

(23)熟成ってのもあるが、神さまによる救いについては、救いを聞いたとき、心に受け入れるのがよい。

(24)強迫ではないが、すぐに動いて、信じて行動に移してみるのがよい。
→しがらみもあるだろうが、あとまわしにして、信じる。吟味も必要だが、すぐに行動に移す。期限があるから。

(25)神さまは、なぜ愛してくださるのか?、人の常識や理解力では、神さまを理解できないところはある。

(26)「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55章8節、9節)

(27)人間の思いでは理解できないところがあるが、神さまは、私たちを愛し、私たちは神さまと共に歩まさせていただく。

(28)神さまは、むやみに信じるように強制しない。

(29)神さまは、我々のことを全部知っている。
→私たちが犯した罪も、知っている。
→将来も知っている。過去、現在、未来を知っている。

(30)神さまは、私たち一人一人にとって、一番、良いことをなそうと待っていてくださる!

(31)生きていると、「このことが自分の将来の何に役立つのかわからない。」って思うときがある。
→しかし、神さまは、ちゃんと私たち一人一人のことを覚えていてくださる。
→その神さまが、現在の状況を許されている。

(32)エステル記
エステルがなぜ王妃として選ばれたかは、当初、
わからなかった。
→後になって、神さまがエステルを導き、王にユダヤ人の窮状を訴えて、ユダヤ人を救う目的があったことがわかる。

(33)万事のことを益に変えてくださる。
人間の思いからは、望ましくないと思えることも、過去、現在、未来を知っておられる神さまが許しておられる。
→ゲツセマネでのイエスさまに倣ってみる。
「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

(34)何度も、イエスさまによる救いを語っても、宗教ということで、毛嫌いされて、忌み嫌われることはある。
→しかし、それは無駄ではない。

(35)語っても、信じてもらえなくても、一回であきらめない。クリスチャンとして表明していれば、言葉だけでなく、振る舞いでも、伝わる。

(36)イザヤ書6章
「私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」」
→仮にイザヤしかいなくても、主なる神さまは、「だれかいませんか?」って聞いてくださる。

(37)「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
→イザヤの時代も、民に、神さまのことを語っても、信じない人が多いということ。
預言者エゼキエルも、神さまの言葉をかたっても、民は、頑な(かたくな)で、信じない。

(38)頑な(かたくな)な心を溶かしてくださる方がおられる。
聖霊
→一言、二言、救いを語り、祈る!
→時満ちるにおよんで、かたくなな心がとける時がくる。とけるときは、早い!

(39)日本のリバイバル
150年以上にわたって祈られてきた。
壁が破れて、一旦、とけ始めれば、とけるのは、早いはず。

(40)神の言葉は、むなしく地におちない。
イスラエルの地→雨や雪は、つぎの芽を育てる。
→日本でも、大雪のつぎの年は、豊作が期待できる。←水が豊富にあるから。

(41)神の言葉に力がある。
→天地すべてのものが、神の言葉により造られた。
→神さまの言葉には、人を変える力がある。

(42) 「 まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」
→洗礼を受けると、八百屋さんの野菜が輝いてみえたり、スーパーに陳列されている商品が笑顔に見えたりすることがあるのと同じ。
→実際に、山や丘が歌声をあげるのではないが、イエスさまを信じたとき、物事の考え、心が変えられる。
→意地悪や悪口を言われても、心が変えられて、それほど傷つかなくてすむ。

(43) 「いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」 (イザヤ書55章13節)
→もみの木→常緑樹→永遠の命を示す。
→おどろ(やぶ、ざっそう)の代わりに、 白い雪のように美しいミルトス(銀梅花)のようにされる。

エスさまを救い主として、受け入れるとき、物事の考え方が変わって、永遠の命が与えられ、 ミルトス(銀梅花)のように美しくされる。

神の大いなる愛を知ると、神への感謝しかない。

(感想)
とても励みになるメッセージでした。
亡くなる前に、神さまの深い愛を知り、神さまを救い主として信じることが大事だと思いました。
救いの話を聞いたら、時間をおかず、しがらみは忘れて、信じさせていただく。人の心は、かたくなだから、祈って、聖霊なる神さまに、かたくなな心を溶かしてもらう。
神さまを信じると、罪が赦され、ものの見方が代わり、永遠の命が与えられることがわかりました。