7月17日(日)神召キリスト教会の礼拝
7月17日(日)も神召キリスト教会の礼拝にいってきました。
メッセージ箇所は、ローマ8章26節〜30節でした。
3週連続で、ローマ人への手紙8章からのメッセージでした。
いまの私たちに必要な箇所が神さまから与えられている感じがします。
メッセージの流れをメモします。
(1)ローマ人への手紙8章には、3つの「うめき」が書かれている。
→そのうちの1つ
→「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊(みたま)ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ人への手紙8章26節)
(3)人間は弱い存在
「土の器」にたとえられる
→脆い、弱い
(4)弱いからこそ、主(しゅ)なる神さまは、励ましてくださる。
(5)弱さは、どこに現れる?
→弱さは、祈りに現れる。
(6)祈りは、結果が直ぐに出ない場合がある。
祈っても、誰の役にたたないような気がしてしまう。
→祈らなくてよいのかも?って気になりやすい。
(7)信仰がないと祈れない。
祈る相手がわからないと祈れない。
→祈りと信仰は密接
(9)御霊(聖霊)が、祈るべきことを教えてくださる。
(10)なぜ、祈らないとダメなの?
祈らないと神さまの御手が動かない。祈りを必要としてくださっている。
(11)私たちが、イエスさまを信じることができたのも、知らないところで、たくさんの人が祈ってくれたから!
(12)祈りの内容も変えられていく
→自分のことを最初は祈っていても・・・
→自分のためでない祈りに変えられる。
→他の人のための祈りに変えられる。
→自分の思いもしないことを祈らさせていただく。
(13)例:第1サムエル記のハンナの祈り
最初は、ペニンナに対する対抗心
→自分に子供が与えれるように、という個人的な祈り
当時は、神の言葉が、あまり語られない時代
→神さまのために働く人が必要という神さまの心を聖霊さまに教えていただく。→ハンナの祈りが変えられたはず。
「神さまのために働く人が与えれるように!」
→なので、サムエルが生まれたとき、神さまに捧げた。
(14)的外れの祈り(例えば、自分の息子二人を御国で、イエスさまの右、左の地位につけてください:マタイの福音書20章21節)の場合でも、イエスさまは、正しい方向に修正してくださる。
(15)聖霊は、イエスさまの霊!
→祈りを修正してくださる。
(16)祈りには、注意が必要
→おかしな祈りが叶ってしまうと、もんだい。
→自分にとって真の祈りを捧げないとまずい。
→でも、聖霊さまが修正してくださる。
(17)神さまが、他の兄弟姉妹をして、とりなしの祈りをするようにさせてくださる。
(18)でも、ゲツセマネでイエスさまが必死に祈られているのに、弟子たちは、肝心のときに、寝てしまった。
さらに、イエスさまが十字架にかかったときは、逃げた。
(19)しかし、聖霊のバプテスマを受けると
→見違えるように強めれる。
→脅しにも屈せず、大胆に証し
「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒の働き4章20節)
彼らが祈ると「その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした」(使徒の働き4章31節)
(20)揺れ動くくらいに、強い祈りができるように聖霊さまによってしていただける。
(21)究極的には、人々が神さまに会うことができるように祈る。
→イエスさまも、私たちが神さまに出会えるように、ずっと祈ってくださっていた。
(22)祈っていると、みことばを与えれる。
みことばを通じて、思いを与えれる。
(23)みことばをもって祈る。
→だれかが祈ってくれてるから、自分が祈らなくてもよいと考えない。
→一人一人がかけがえのない祈り手として、召されている!
(24)兄弟姉妹をみことばをもって励ますこともできる。みんなで祈る。
(25)出エジプト記17章アロンとフルがもモーセの手を支えた。
→モーセの手を柱に固定するのとは違う。
→支え会うことで、三人の祈りになる!
→神さまは、祈りに答えてくださる。
今回も、恵み大きい礼拝でした。
メモを見ても、素晴らしい礼拝であるとわかりますが、
やはり、礼拝の恵みの十分の一も、伝わりません。
百聞は一見にしかず!です。
興味を持った人がいたら、ぜひとも、教会に来て、聖霊なる神さまに触れていただいてください。