新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

気持ちを込める

この私も少ないけど神さまに献金をしている。すべての恵みは、神さまのものなので、神さまのものを神さまにお返しするわけだけど。
問題は、そのときの気持ちだ。
今の私は、恥ずかしながら、かなり金に窮している。
でも、そんなときほど、喜んで捧げないとなあと思う。
神さまは、表面より、私達の心の中をみる。

もちろん、すんなりと献金することができるときもある。でも、ともすると、俺とかは、献金のときに、そのお金を惜しむ気持ちが若干、生じちゃう。少し、額を減らして、その分のお金を参考書代や生活費に当てたいなあという気持ちになる。
でも、すぐに反省して、嬉しい気持ちで、捧げる。
それなら、最初から、惜しむ気持ちを無くせればよいけど。恥ずかしながら、たまに、そういう罪深い気持ちになってしまうのだ。

神さまは、憐れみによって、無償で、御子イエス様をもお与えになり、私達を罪から引き上げで永遠の命を与えになった。
エス様という莫大な代価が支払われているわけだ。もちろん、値段が付けられないけど、永遠の命は、少なくとも1千兆円よりもは高い価値だろう。そして、その新に与えられた命の中で、少しづつ成長し、辛くても楽しく歩みを進めることができるわけだ。
献金は、お金より神さまを上に見ていることの簡易テストになる。たんに捧げることができるかではなく、喜んで捧げることができるかがポイントだ。
ロックフェラーとかも、毎月、献金を欠かさなかったとのこと。まだ、貧乏のときにも、超のつく大金持ちになったときも、かわらず捧げたとのこと。

神さまは、しっかりと応えてくださるわけだ(まあ、すでに、永遠の命だけでも、凄く高価なものを貰っちゃってるわけだけど)。俺も、献金してなかったら、もっと貧乏になってたんではと思います。

ちなみに、十字架の意味など神さまの恵みを知る前は、教会に行っても献金する必要はないですよ。ほんとに神さまを信じて、金より神さまの方を上に置けるようになってから、捧げればよいはずですよ。
いやいや捧げるくらいなら、捧げない方が、ましだと思います。神さまは、心をみるから。捧げるときも、感謝の気持ちを込めたいです。