新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

自分を愛そう?

私の知り合いの非常に営業が上手な人がいうには、
その人はナルシストで、自分自身が大好きであり、自分に興味がある。
それの延長線上で、他人のことにも興味があり、それが営業成績に繋がってるのだという。
確かに、自分も他人も、同じ「人間」だから、
自分好きというのは、「人間」好きにつながり、
営業において、大事な資質なのかもと思った。

そして、その人は、俺にたいしても、
「自分自身を愛する」ようにとアドバイスしてくれた。

それに対し、確かに、俺は、自分自身の評価がとても低いと思う。
「どうせ俺なんて○○だし」・・・みたいな考えをしがちである。
それは、ある意味で、謙遜ともいえるのだけど。

でも、神さまは、俺のことをも
私の目には,あなたは高価で尊い。」(イザヤ43章4節)といわれている。
また、神さまは、俺に対しも「自分を愛するように、隣人を愛せよ」( マタイ22章39節)と
いわれており、あくまで、「俺が俺自身を愛するように」というのが前提にされている。

つまり、俺が自分自身の自己評価を低くするのは、
神さまが「高価で尊い」とされたものを低く評価し、
神さまの「自分を愛するように、隣人を愛せよ」という最も重要な律法の一つの前提にも背くことになるんだなと思った。

だから、ほんとに、ナルシストになるくらいの心持ちで、
自分自身を愛することが、隣人への興味、隣人への愛へとつながるし、
神さまが「高価で尊い」と評価してくださった自分を、
素直に「高価で尊い」と自分でも評価することが、神さまのみこころに適うのだろうと
思った。

だから、俺のように、自分に自信がもてず、
自己評価が低い人は、
ナルシストになるくらいの気持ちで、
神さまが「高価で尊い」と評価してくださった自分を、
素直に「高価で尊い」と自分でも評価していったらいいのかも、と思った。
だって、神さまが愛してくださってるんだから。。。
照れずに、感謝しつつ、自分でも愛していけばいいんだと思う。