新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

敵のために祈る


幸いな人という月刊誌を読んでいて、以下のような記事がありました。

ウガンダの独裁者イディ・アミン政権下の秘密警察5人が銃をケファ牧師に向け、殺そうとしたとき、
ケファ牧師は、「復活を信じる者として死は怖くないが、2分の時間をくださるなら祈ってから生涯を終えたい」といい、許可を受けて祈りました。

どう祈ったかというと、驚きですが、
「イディ・アミンを赦してください。そして、彼の命令によって願わない行動をしなければならないこの5人の兄弟達も赦してください・・・この国が愛と義の地になるように助けてください。私の死によって、再びこのようなことが起こらないようにあわれんでください」と祈ったそうです。

それによって聞いていた5人の警察の方の目にも、涙が流れて「先生、もうしわけありませんでした。早くここから逃げてください」となり、
ケファ牧師は無事に逃げられたそうです。

この話を読んで、いろいろ考えさせられました。

なかなか敵のために祈ることは困難だけど、
エス様は、自分を十字架につけた者に対して
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書23章34節)と祈りました。

なによりも、イエス様が、私達に、
「自分の敵を愛し 、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイの福音書5章44節)と教えてくださいました。
そして、自ら実践してくださいました。

論理的には、自分の敵のために祈るのは、難しいです。
しかし、それをやってのけたときには、
神さまの栄光が表され、
証しされるものだなと思います。

他にも、聖書の中には、論理的には、難しいこと、
でも、そこに神さまの栄光が表されることがあります。
自分中心ではなく、神中心にできたとき、
むしろ、自分にも、大いな恵みがもたらされるように思います。

人間にはできないことでも、神さまには可能です。
そして、クリスチャンの体の中には、
聖霊なる神さまが内住してくださってるわけです。
神さまに委ねていくことができれば、
自分には出来ないことをも、可能となるんだけど、と思います。