自分自身の生き方
今日は、朝の礼拝に参加した。
今日の礼拝では、自分の人生について反省させられた。
特に、(1)、(2)のことを考えさせられた。
(1)人生の土台に、イエス・キリストを据える(すえる)。他のものでは、代わりにならない。
(2)目立たないことでも、聖書の御言葉にしたがって、神さまの御心に適う(かなう)ことを喜んでなしていけば、それは、神の眼には、「金、銀、宝石」で建物を建てたことになり、火に燃やされても結果が残る。
逆に、人間の眼には大きな業績のように見えても、自分の栄光のためになされたものであれば、神の眼には、「木、草、わら」で建物を建てたことになり、火に燃やされ、結果が残らない。
→(1)、(2)をやっていくならば、まず第一に、神の義を求めることになる。
神の義を第一に求めるならば、残りのことは、心配しなくても、与えられる!