執り成しの祈り(とりなしの祈り) 教会用語
今週も、夕礼拝にいってきました。
今回の礼拝では、「執り成しの祈り(とりなしの祈り)」が一つのテーマになっていました。
「執り成し」って言葉は、けっこう理解が難しいなって思ってます。
クリスチャンではない方には、分かりづらいと思います。
という私も、教会で使っていながら、意外とわかっていない言葉の一つです。
簡単にいうと、「執り成しの祈り」とは、他の人の代わりに祈ることを言うと思います(正確には、牧師に聞いたわけではないから、間違ってるかもしれないけど)。
たとえば、こんな感じです。
(1)身近な友が病気になってしまった。
(2)でも、自分には、どうすることもできない(自分の無力)
(3)友に代わって、神さまに頼みつづける。
(4)祈りの答えが延ばされても、神さまを信頼し、継続して祈る。
「執り成し」を辞書で引くと、
『1 対立する二者の間に入って、うまく折り合いをつけること。仲裁。また、仲介。「―を頼む」』(出典:デジタル大辞泉)とあります。
なるほど!
他人と神さまとの間に入って、仲裁や仲介のような働きをする祈りだから、執り成しの祈りっていうんですね!(たぶん)。
「とりなしの祈り」よりも、「仲裁の祈り」の方が、法律を勉強した自分には、イメージがわきます。
そういえば、
イエス様は、神さまと人間との間に入って、仲裁してくださいました。
そして、今も、天で、私のため、そして貴方のためにも、
執り成し(仲裁)の祈りをしてくださっています!
私達は、イエス様に似たものとなるように成長したいなって思っています。
とすれば、イエス様が、執り成しの祈りをしてくださっているように、
私も、他の人のために、執り成しの祈りをしていきたいですね。
ついつい、自分のことばかりを祈ってしまう自分を反省します。
今回、執り成しってのを調べてみて、自分にとっても勉強になりました。