新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

苦難の時にも ジェームス・ドブソン著

「苦難の時にも」という本を読み返してみた。

特に、次のような話が印象にのこった。

アメリカの牧師夫婦に16歳の娘さんがいた。
②その娘さんが悪性腫瘍で、足を切断しなければならないとの告知をうけた。
③牧師夫婦は、教会のみんなと、足を切断しなくてもよくなるように、主なる神さまに祈った。
④しかし、足を切断することになってしまった。
⑤牧師は茫然。しかも、教会員のところにいって、「神は娘の足を取り去ってしまった」などと言えない。牧師という仕事に影響。

こんなとき、何故に、神さまは、祈りに応えてくれなかったのか?
神さまは、全知全能だから、なんでもお出来になるのに、熱心なクリスチャンに対して
足を切断ということが起こるのか?

こんなときは、安っぽい答えで片付けようとすると、かえって苦しみの中にいる人を
傷つける。
(例1)他人「神がすべてを益としてくださるから」→当人「よろしい、君の16歳の娘の足が切断されたことを考えてみてくれ、同じような辛い思いをしたことがあるなら戻ってきてくれ」。
(例2)他人「こうなることは神がお許しになったと思うんだ。なにしろおかげで教会にリバイバルが起こったんだから」→当人「じゃあ、このリバイバルが下火になったら、神は次は何をするんだい?、今度は、娘のもう片方の足を切るのかい?」

人間の知性では、神のみこころは、理解できないところがある

「神は助けることがおできになる。いやすこともできる。しかしなぜそれをなさらないのか。」全身全霊をもってキリスト教を信じてきた者だからこそ、
疑問に思うことがあります。

しかし、その答えは、「わからない」というのが正解。
エス様が再臨されて、天国でお逢いするときまで、神さまの摂理を完全に理解することは無理のようです。神さまは、被造物である人間に、理由を説明する義務はないです。

ちなみに、上記の牧師は、こう祈ったそうです。
「主よ。全てがどうつながるのか、私にはわかりません。なぜこういうことが起こらねばならなかったのかも、理解できません。もう、説明すら求めません。あなたは神であられます。私はあなたのしもべであって、その逆ではないという事実を受け入れます」。

「我々の苦しみの目的は明かされずじまいかも知れない、しかし、それでも、神さまを信じる」!というが信仰といえるようです。