2016年6月26日礼拝メモ
6月26日礼拝にいって来ました。めぐみに溢れた礼拝でした。
メッセージ(マタイ8:18ー27)の流れメモ
(1)イエスさまの招きに従っていくことが大事。
(2)イエスさまの話を聞いて、「よい話を聞いた。勉強になった」で終わってはダメ。
(3)一歩、踏み出す必要がある。舟の意味を知るのではなく、舟に乗り込む勇気。舟は教会のたとえ。イエスさまは、船頭さん。
(4)富や名誉など「自分の自己実現」のために信仰があるというのでは、本末転倒。
(5)クリスチャンは、この地上になにかを作り上げていくのが、究極の目標ではない。
(6)神の御国が目的地。この地では寄留者。
(7)一方、ヘロデ王は、大きな宮殿に住み、お金持ち。でも、明日、明後日を心配して生きていく。
(8)それに対して、クリスチャンは、神の御国を目指すので、不安はない。
(9)この世の富、名誉などを求める価値観から、神の御国を第一とする価値観への転換。
(10)イエスさまに従うか否かの判断は、緊急性が高い。
状況が○○になったらイエスさまに従うから、いまは無理といって先送りにしたら、ずっと従うことができない。
(11)漁師だったペテロやアンデレは、イエスさまにしたがって、網を捨てた。でも、もっと大事な人間をとる漁師にされた。
(12)信仰のために、なにかを捨てると自分では思うことがあるかもしれない。でも、神は、それを返してくださる。もっと、清めて、用いてくださる。今のもっている経験を活かして、主の働きができるようにしてくれる。
(13)どんな大きな葬儀をしても、命は終わる。葬儀も大事だが、イエスさまを信じて永遠の命を受ける方が、もっと大事。
(14)過去のことは、神さまが、我々の涙をぬぐいさってくださるという御言葉を信じて神さまにゆだねる。
(15)今できることに注力する。祈っていく。
(16)イエスさまは、沈没しそうな舟の中でも、寝ている。心配していない。
父なる神さまの計画を信じ、確信している。
(17)イエスさまと一緒にいる弟子たちも、イエスさまが一緒にいるのだから、本来は、心配しなくて大丈夫なはず。なのに、イエスさまが、いないかのように、おじまどう。ここに、信仰の弱さ、小ささがある。
(18)イエスさまは、我々の弱さをみとめ、なげきつつ、我々を叱るのではなく、舟を揺らす波や風を叱ってくださる。
神さまのやさしさ。
(19)我々も、弟子たちと同じ。あるいは、もっと恵みある。
我々の中には、イエスさまの御霊(聖霊なる神さま)が住んでくださっている。
主なるイエスさまの御霊がついている我々が滅びるはずがない。平安が与えられる。
(20)神さまの義を第一にすれば、その他のものは、すべて与えられる。
一見、捨てたと思うことも、結局、取り返してくださる。神さまは、無理を強いない。
神さまを信じて、行動してみるのが大事。たんなる知識人、傍観者ではなく、実践者であることが大切。そう思いました。