2016年07月03日礼拝に参加しました
なんか写真の向きが横にアップされてしまう。。。
パソコンの知識がないので、こまってしまう。
(電気電子工学科卒ってのは?って、つっこみは、なしとして)。
7月3日の礼拝に参加しました。
礼拝は、朝の10時30分からやっています。
夕拝にも参加しました。
夕拝は、夜の19時00分からやってます。
内容は、礼拝も夕拝も、大体同じです。
めぐみのときですので、どなたでも、お越しください。
今日の礼拝(夕拝)のメッセージの流れをメモしておきます。聖書箇所 ローマ8:9ー17
(1)クリスチャン(キリスト者)って、どんな人?
→聖霊(イエスさまの霊)を心のうちに迎え入れている者
(2)神さまが信仰を与えてくださった。神さまが、選んでくれた。
→私が神さまを選んだのではない。
(3)人間の力で、イエスさまを救い主だと理解した人はいない。
→聖書の第一コリント 12章3節に、「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません」と書いてある。
(4)自分がクリスチャンだと確信している根拠は?
って聞かれたら、どう答える?
→イエスさまを救い主だと、心から確信しているから、と答えればOK。
∵ イエスさまを救い主だと、心から確信している。
→聖霊が心のうちにおられる
→聖霊を心のうちに迎え入れている
→クリスチャン
(5)聖霊の宮
第一コリント 6章19節 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」
神さまは、聖なる方なので、普通の人間では、近づくことが本来できない。旧約聖書の記述によれば、神さまの神殿の中で、もっとも清い至聖所というところには、年に一度、ユダヤ暦の第7の月の10日、贖罪日に大祭司のみが入ることを許された。
それなのに、今、私達の身体自身が、宮、至聖所とされている。
→おどろくべき、恵み。
(6)聖霊の宮をけがしたくない。
たとえば、たばこは、吸ってはいけないと聖書には書いてないけど、聖霊の宮ということを考えたら、吸わない方がよいはず。
「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私には、すべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」(第一コリント 6章12節)
(7)私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(第二コリント 4章16節)。
確かに、年齢を重ねて、外見的には、加齢による老化は進みます。でも、聖霊さまによって、日々新たにされる内側は、ますます燃えていくことができます。
(8)クリスチャンの目的地
→御国に行くこと。でも、死ぬまで待たなくても、イエスさまを信じた瞬間から、私たちには、永遠の命が与えられ、神さまの恵みを受けることができる。
(9)バプテスマ(洗礼)の意味
「キリストとともに死に、キリストの復活の命にあってよみがえり、新しい歩みをする」これを目に見える形で示すのがバプテスマ(洗礼)。
「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」(聖書 ローマ人への手紙6章4節)
(10)キリストが、私たちのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
聖霊に活かされて、歩んでいける!
(11)どのように生きてゆくの?
「肉にしたがって歩む」のではなく、「御霊に導かれる人」とさせていただく。
(12)「肉にしたがって歩む」、「肉の思い」ってどういう意味?
神から離れた人間の自己中心的な性質を表している。日常用語の、「肉欲とか、欲望とか、悪い思いをもつこと」のみを、意味する言葉ではない。
(13)「御霊(みたま)に導かれる人」ってどういう意味?
主との深く豊かな交わりに導かれて生きる人を意味する。
(14)人間は、自分が大好きだから、自己中心に生きてしまいやすい。
そこをあえて、自己中心の思いを殺していく。
人間には、難しいけど、神さま(聖霊)なら、可能。
(15)肉にしたがって進むと、いきつくところは死。聖霊なる神さまは、 イエスさまをよみがえらせた霊→本当のいのちに活かさせてくださる。導いてくださる。
一切のことを益にしてくださる。悪いほうへ導くことはない。
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ人への手紙第8章32節)。
(16)神さまは、日々の生活の中でも、いろいろな戦略を与えてくれる。
たとえば、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ書30章15節)というみ言葉が与えられることがある。祈りのなかで、その他、いろいろな、み言葉が与えられる。
自分の思い、自分の力にばかりに頼って、おじまどうことなく、主にあって祈り、み言葉をいただく。それによって、苦難を乗り越えていける。
(17)自分の思いを遮断して、神さまの思いを第1にしていく。人間には、難しいことだけど、自分は、イエスさまと共に死んだんだと考える。死んだのなら、自分の思いを全面にだしていかずに済む。聖霊に導かれる。
(18)聖霊は、人を恐怖に陥れるような、奴隷の霊ではない。
→人は、罪があるから、神を恐れる。主イエスさまを信じて罪が赦され、聖霊を与えられた私たちには、恐れはない。
(19)神さまの子どもとされた特権
子どもは、お父さんに、「お父ちゃん!、お父ちゃん!」と、からんでいくことができる。
それと同様に、私たちは、父なる神さまに、信頼して、「お父ちゃん!」って、より頼んでいくことができる。なんでも、祈ることができる。
自分の祈ったとおりにならない場合はあるが、神さまは、違った形で、祈りに応えてくださる。
悲しみのままで、終わらせない。
(20)神さまを信じて、実践していく。
単に理解していることと、実際に行っていくこととは、大きな差がある。
私たちは、信じて実践していきたい。
(21)「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(マルコの福音書11章24節)。
祈るときには、心備えをする。準備をする。
ある地方で、雨が長期間降らず農作物への影響が心配されため、信仰をもった人達が、外に集まって、祈祷会をもった。みんなで祈っていると、雨が降り出した。でも、困ったことがあった。みんな傘を持ってきてなかったのである。
そんな中、一人の老婦人だけは、快晴の中、傘を持ってきていた。老婦人だけは、傘をさして、濡れずにかえっていった。
→準備が大事。
(22)家族、知人が救われるように祈るときも、
たとえば、「救われるためには、何をすればよいの」って聞かれたときに、困らないように、準備していく。
今日の礼拝、夕拝も、恵み深いものでした。
み言葉を知っているというだけでなく、心のなかに居てくださる、聖霊なる神さまの導きによって、実践していく、強く刷新していただく、ってのが大事だなって思いました。
神さまに感謝です。
教会は、クリスチャンのためのものではないので、よかったら、行ってみてもよいかも。
ホームから階段を下り東口(右側)へ。
改札を出て、ロータリーの左前方の20メートルくらいのところに
マクドナルドがあります。
マクドナルドのところの信号を(わたってから)左折。
ローソンを超えて1つ目の信号までいって(わたってから)右折。
数メートルでセブンイレブンがあるので、セブンイレブンを超えた角を左折して、
30メートル。
白い色の教会があります。
こう書くと距離があるように錯覚しますが、
実は、板橋駅から、3、4分のところにあり、めちゃ近いです。