新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

7月6日祈祷会

7月6日(水)の祈祷会にいってきました。
祈祷会は、水曜日の19時30分から始まります。
本当は、仕事が忙しいから、祈祷会にいかずに、
残業した方がよいようにも思うのだけど、
不思議と祈祷会にいって、神さまの力を受けた方が、
かえって、結果として仕事もはかどるように思います。

7月6日(水)の祈祷会のメッセージの流れをメモします(ペテロの手紙第1 第1章13節〜第16節)。

(1)クリスチャンの目指すゴール
→神のいのちに生きるものとなる。

(2)「人間は、誰でも死ぬ」というが、本当は、人は、永遠の命にあずかる者として作られた。
 途中で、「罪」(神さまを離れて、的外れに生きること)が入ったため、その報いとして「死」が入った。
→「死」は不自然なもの。
(3)ゴールが決まっているのは、幸い。
 目的地もなく、どこにいくのか、どこに帰っていくのかもわからない旅は、しんどい。

(4)現実も大事。世捨て人のようになるわけではない。この世にあっても、クリスチャンは、すでに永遠の命を受けている。

(5)キリストの再臨を待ち望んで、心を引き締め、準備していく。
 「あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」(ペテロの手紙第1第1章13節)
 「心を引き締め」→「心の腰に帯を締める」

(6)どうやって、心の腰に帯をしめるの?
→聖書のエペソ人への手紙によれば、霊の戦い。みことばによる武具をつける。血肉による戦いではない。
(7)クリスチャンには、内側と外側に戦いがある。
内側の戦いは、誘惑、葛藤など。
外側の戦いは、迫害など。
→いまも戦いはある。心を引き締めていく。
 自分のいただいた信仰に堅く立っていく。

(8)猿の信仰と、猫の信仰
 猿は、自分で親にしっかりと、しがみついている。
自分の手を離すと、親から離れてしまう。
 猫は、親が首をしっかりと、抱えてくれている。
自分の手を離しても、親がしっかりと抱えてくれているので、離れない。
 私たちは、猫の信仰。
 自分で、しっかりと、しがみついているようでいて、
 神さまが、しっかりと抱えてくれている。
→イエスさまが、遠くにいるように感じるときでも、
 「猫の信仰」を思い出して、神を信頼する。

(9)イスラエルの民が神さまから選ばれたのは?
 神さまの聖なることを他国の民に伝えるため

(10)現在において、わたしたちを神さまが選び、クリスチャンとしてくださったのも、他の人たちに、イエスさまを証し(あかし)して、神さまの栄光を伝えるため。

(11)わたしたちは、この世にあるが、この世の者ではない。
「聖」なるもの。
「聖」ということの元々の意味
→「(罪の世から)分離されている」の意味

(12)「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」(ペテロの手紙第1第1章16節)。
→単に、悪習慣があるから、聖ではない、悪習慣がないから、聖だというものではない。○○をしたから、汚れたとか、○○をしないから汚れていない、という外面的なものではない。
 心の問題
→パリサイ人、律法学者も、外面的には、つくろっていた。内面は、汚いものだった。

(13)神さまとともに生きていく。
 神さまが「聖なるものとなれ」と、わたしたちにいってくれている。

(14)クリスチャンとして生きようとすると、会社とか、友達づきあいとかで、一見すると、「バカ正直」に思われたり、要領の悪いように思われたり、回り道をしているように思われることがある。

(15)友情とバカ正直さの問題
 融通がきかないように、思われたとしても、一時しのぎな方法に頼るべきでない。
→神さまは、私たちに、聖でなければならない、といわれる。
→バカ正直にみえるかもしれないが、誠意をもって神の前に出ていくことが、一見、回り道にみえて、近道。友達のためにもなる。
→神さまは、私たちの心の中をみてくださって、
私たちが聖なるものになれるように、道を備えてくださる。


 とても、恵みあふれる祈り会でした。
 自分自身の力で聖なるものになるのは、無理ですが、
 神さまが、私たちを聖なるものにしてくださるのだなと思いました。
 神さまを遠く感じるときも、猫の信仰ってことを思い出して、神さまを信頼していくことができると思いました。 そして、バカ正直であっても誠意をもって神さまの前に出ていくことが、一番近道になるように、神さまは、道を与えてくださるということがわかります。
 実践していきたいと思いました。