新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

7月10日(日) 礼拝にいってきました。

7月10日の礼拝にいってきました。今週のメッセージの流れをメモしておきます(ローマ人への手紙8章18〜25節)

(1)自然界のあらゆるもの
→もし、山とか川とか自然界が、話ができるなら
自然界は、私たち人間に「イエスさまを信じて!」って切実に叫んでる。

(2)自然界の管理人である人間に、罪(神さまから、離れて的外れにいきること)が入ったため、自然界は、とばっちりを受けている。

(3)環境を守り、自然界を本来のあり方にするためにも、まず人が神さまとの関係を修復する必要がある。
→私たちの救いは、地球レベルでみても、大きな意味がある。

(4)神さまから、人間としての尊厳が与えられているのに、人間が死ぬってことは、不自然。

(5)人の救いを願う父なる神さまは、そのひとり子(イエスさま)を、私たちの救いのために十字架にかけるというみわざに示された。

(6)神の子としてくださる御霊(みたま)をうけて、神さまを「アバ、父よ」と呼べる生活に招かれている。
→「御霊の初穂」
初穂だけでも、とてつもなく素晴らしいことだけど、
「初穂」という以上は、次の完全な収穫が準備されている。
→めぐみ、祝福が、どんどんある!

(7)罪の根が完全に取り去られるのは、再臨(イエスさまが再び来られること)を持たなくちゃならないけど、すでに、私たちは、めぐみのうちに入れられている。
今すでに与えられている恵みも多い。主は、与えて、与えて、与えつづけてくださる。


(8) この世の死は、終わりでないとクリスチャンは知っている。
→希望を持てる。
むなしくない。
労苦は、無駄にならない。主の目には、無駄にうつってない。
しっかりと根をおろして生きていく。
→究極的には、御国(みくに)。

(9)日々の生活にばかり、うずもれない。
偉大な祝福が与えられることを忘れない。

(10)(アメリカの逸話)ある男性が、たまたま5ドル紙幣を拾った。5ドル紙幣を拾ったのが嬉しくて、その後も、いいものが落ちてないかなって、ずっと何十年も、下を見て暮らした。
その結果!
→2万何千個のボタンと、5万何千個のピンと、25セントの小金を拾えたが・・・。
→下ばかりみていたので、背中が曲がった。日光の輝き、空の青さ、星空の美しさ、野花の可憐さ・・など多くのものを目にする機会を失った。
→5ドルという目先のことに埋もれて、大切なものを失った。

(10)この世のことも、大事だが、日々の生活に埋もれては、だめ。

(11)目に見えないからこそ「望み」!
この世にあるものは、見える。
しかし、この世にあるものは、ときがくれば、なくなってしまう。

(12)永遠の望み
「目に見えない望み」を聖霊なる神さまが目に見えるようにしてくださる。

(13)人間の力で、永遠の望みを獲得しようとしても限界がある。

(14)神さまの約束は、絶対に成就する。
神さまの素晴らしさ、豊かさを知る。

自分で立ち上がれないようなときでも、
「立ち上がらせてください」と神さまに祈ることができる。

(15)さらに続く良きものを期待して、信仰をもって、主にしたがっていく。
「信仰」が大切。


幸いな礼拝でした。初穂でさえ、あまりに大きな恵みだなって思いました!

自分の救いという恵みを、自分で小さくしてしまうのではなく、神さまが与えて、与えて、与えつづけてくださることを信仰をもって信じ、日々の小さいことに埋没しないように、顔をあげて、神さまと共に、歩いていこうと思いました。