新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

「神ってる」の意味

今年2016年の流行語大賞は、「神ってる」に決定したそうです。
「神ってる」というのは、広島カープの緒方監督が、2試合連続のサヨナラ本塁打を打った鈴木誠也選手の活躍ぶりを表現した言葉だそうです。

「神がかった活躍ぶり」という言葉の縮約形なのかなって思います。

 でも、「神」って言葉は、大きく2つの意味があると思っています。
 これは重要です。
 
 一つ目の意味は、人間を超越するほど優れているという意味です。
 例:神回:作品において、画像、クオリティ、演出、展開が優れている回
 例:ドラゴンボールにおける「神」(ピッコロ大魔王)
 例:縁結びの神とか、神社における神。

 今回の「神ってる」も、この一つ目の神の意味でしょう。

 この意味での神は、一人に限れません。
 ドラマで、神回は、1回だけとは限れませんし、
 ドラゴンボールでも、神、あるいは神以上の力の者が、たくさんいます(界王、界王神、大界王神など)。
 日本での神は、八百万(やおよろず)の神っていって、縁結びの神とか、昔の大名(武○信○さんとか)が神になってたりとか、山とかも御神体として神さまになったり、といったように、色んな多数の神がいると想定されています。

 二つ目の意味は  
 「宇宙(当然、この地球も含む)を創造して歴史を司る、全知全能の絶対者」という意味です。

  理論的には、この二つ目の意味の「神」は、一人だと思います。

 例としては、ドラマ JINのセリフで有名になった「神は乗り越えられる試練しか与えない」というときは、別になんらの信仰をもたない日本人の方も、そういう八百万(やおよろず)の神ではなく、唯一の神をイメージしてるように思います。

 多数の神がいたり、神に序列があったりすると、絶対者ではないと思うのですよね。たとえば、ドラゴンボールで、神(ピッコロ)に、セル(敵)を倒してくださいって頼んでも、セルは、ピッコロの力を超えているので、倒せないわけです。
なので、この神(ピッコロ)は、絶対者ではないので、二つ目の意味の神ではないわけです。

 神が複数いたとすると、それぞれの意見が異なる場合が生じる可能性があります。とすると、一人の神の一存では、なにかを決定することができないわけです。なので、この場合も、これらの神は絶対者とはいえないと思います。

 クリスチャンが信じている神は、この二番目の意味における神です。
 よく、クリスチャンは、自分の神だけ信じて、他の神を認めないので、独善的だっていう人もいますが、それは誤解です。

 この二番目の意味の神は、お一人なので、他の神ってのは、ないわけです。仕方がないわけです。

 「神は乗り越えられる試練しか与えない」というときに、イメージするのは、確かに、唯一の神だな!、クリスチャンが信じている神は、こういう唯一の神なんだなって思っていただけたら、幸いです。