キリストの体
聖書によれば、私たちの教会は、愛によって結びつけられたキリストの1つの体として調和したものなのです。
キリストの1つの体っていうのは、面白い表現だなあと思います。これにより、次のようなことが示されていると思います。
1.喜びも悲しみも分かち合える!
教会は、愛により結びつけられた1つの体であり、私達は1つの体の各部だから、互いに苦しみも喜びも共有できる。
たとえば、手が痛ければ、全体が痛いし、耳が喜びの声を聞けば、全体がうれしい。このように私達は1つの体であり、1つの家族だから、それだけで、一人が苦しめば全体も苦しく、一人が喜べば全体も喜ぶ。互いに分かちあうことができる。
2.個性を消すことなく調和できる!
体においては、手も、口も、その他のすべての器官も、
別々の役目(個性)を担いながら、互いに調和して、
一つの体の働きをしている。
手と口が喧嘩することは、あり得ない。
互いに平和を作り出すことができる。
体の各部は、互いに協調しており、いわば、愛し合っている。
その調和が、外部に対しても証し
(神さまが今も生きていることの証明)になる。
3.教会に行くのが大事だとわかる!
また、指は、体につながれているから、指だとわかる。
耳も、体につながれているから耳の役目を果たす。
体から切り離されていたら、単なる肉の一部であり、
その役目もわからず、すぐに腐って死んでしまう。
4.まとめ
以上のように、
私達が1つの体であるということには、
分かち合うこと、
調和すること、
個性をもつこと、
平和を作り出せること、
協調して愛し合うこと、
外部への証しとなること、
自分の役目を発見すること、
死なずに生きること、
などが表現されていると思う。
このように私達を1つの体として愛により繋げてくださった主をほめたたえます。
これをお読みになった方も、是非とも、お近くの教会に行ってみてきださいね。
疑問とかがあれば、牧師の先生に話を聞いてもらえばよいと思います。