新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

主の臨在

主なる神さまは、
ご自分は一緒にいかないから、
モーセたちで目的地を目指して、
進んでいきなさいって命じるわけです。

本当は、ついてきてくださるわけなんだけど、
そこでの、モーセの応答を通じて、
モーセに自問自答させて考えさせるわけです。

つまり、モーセが、
「神の思いを自分の思いとしているか?」
「神の心を自分の心としているか?」
ということを考えさせるわけです。

モーセは、さすがというか、
『もし、あなたご自身がいっしょに
おいでにならないなら、
私たちをここから上らせないでください。』
出エジプト記 33章15節)
と証ししました。
 確かに、目的地にたどりついても、
神さまがともにいてくださらないなら、
 目的地にたどりつかない方がましなわけです。
 モーセは、神の思いを自分の思いとする
人だったことが解ります。

「神がともにいてくださる」ということに勝る
恵みってのは、ないのです。
 金も、異性も、名誉をもってしても、勝てません。

 金持ちになっても、
 異性にモテモテ?になっても、
 難関資格試験に合格しても、・・・
 神さまが、ともにいてくださらなかったら、
(神さまが臨在してくださらなかったら)、
 それは、虚しいといわざるをえません。

 もちろん、
 金持ちにさせてくださったり、
 異性にモテモテにさせてくださったり、
 難関資格試験に合格させてくださったり、
 くだされば、うれしいです。

 でもね、
 それは、神さまが一緒にいてくださる
 ならば、金持ちになっても嬉しいし、
 モテモテになっても嬉しいし、
 資格試験に合格してもうれしいわけです。

 仮に、神さまがともにいてくださらないなら
 だめです。

 こんなことを書くと、
 普通の感覚なら、
 「神さまがともにいなくても、
 金持ちになり、モテモテで、資格試験にも
合格すれば、不満もないじゃん」 
 って思う人は、教会に来なくなっちゃうかも
しれません。

 でもね、そこは、曲げられないわけです。
神さまの本質を、都合良く変えるわけにはいきません。

 とはいえ、この現実主義者の私が、
ここまで、いうのだから、
 神さまがともにいてくださるってことは、
 億単位の金よりも、
 香里奈さん(私は、彼女のファン)と交際するよりも、
 今目指している資格試験に合格するよりも、
 現実的にも価値が高いということです。

 それは、私は新米クリスチャンだけど、
 はっきりわかります。

 私も、新米なりに、
 偽善ではなく「神の思いを自分の思いとする」わけです。