新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

人知ではなく!、我慢でもなく。

D.カーネギーによれば、相手に反論したって相手のプライド傷つけたりするだけで、よいことないという。
会社で喧嘩したという友達に、カーネギーの話をしてみたけど、
「我慢しすぎは、身体に悪い」といわれた。
たしかに、「我慢」ということには、限界が伴う。
どちらかというと、人の力による我慢には限界があるのだ。

その点、神さまは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」 (マタイによる福音書11:28)といわれる。

こうしなさい!、ああしなさい!と命令されても、できないものはできない。疲れちゃう。
そうなんですよね。我慢しすぎは、駄目なんだよね。そういう意味では、俺の友達の意見は正しい。

じゃあ、どうするの?というと、
クリスチャンの場合、悩みがあっても、神さまにあって、祈っていると、
祈りの内容が変ってきて、30分後には、他の人の健康とかを祈ってたりする(笑)。
そうすると、自分の悩みは消えているって感じでしょうか。。。。
悩みに際して我慢するのとは違い、悩みが自然に消えるような感じでしょうか。
でも、そこには、神さまの御力が作用してくださっているわけですが。。。

ああ、主よ。
私達に我慢を強いるのではなく、
祈りの中で、自己の悩みをも、他者への愛の祈りに変えてくださり、
救ってくださります。
我慢を強いるのでなく、愛を与える主の御名を褒めたたえます。