新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

信じきれるか

昨日の11月21日は、東京の中野ZEROホールで「神様の日本への愛2011癒しの集会」が行われました。世界最大の教会の一つであるヨイド純福音教会・堂会長である李ヨンフン(이영훈)牧師が講師をされました。

実際に、たとえば、いろいろな治癒困難な病が、
祈りによって癒された実話が紹介されました。
ついぞ、私たちは、頭で考えてしまいがちであり、
世の常識に反することについて臆病になってしまいます。

でも、信仰の父アブラハムは、神さまを信じ、
その命令にしたがって自分のひとり子のイサクに刀を振るい、
ひとり子を惜しまないで神さまにささげようとしました(創世記22章)。
当然、神さまは、刀が振るわれる寸前でストップをかけてくださいました。

普通の世の常識的には、自分の子供の命を捧げるってのはできないですよね。
でも、そこを乗り越えることで、神さまへの絶対的な信頼が明らかにされると、
そこに奇跡が起こるんだなと思います。

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」(伝道者の書11章1節)

普通の世の常識的には、貴重なパンを水の上に投げるってのは、損ですよね。でも、
それを乗り越えることで、神さまへの絶対的な信頼が明らかになると、奇跡が起こるといえると思います。

結局、アブラハムの「神さまの命令によって自分の子供に刀を振るっても、神さまが子供の命もすくって下さる」という信じる力が試されたし、
また、伝道者の書の作者の「パンを水の上に投げても、あとの日になって、見出す」という信じる力が試されたといえます。

この科学万能の世の中にいると、
科学に一見すると反することや、
一見すると、損に思えることを
信じてみるのが、
以外と困難であることに気づきます。

究極的なことをいえば、
エス様は、死んで三日目に死人の内からよみがえってくださったわけですが、
これを信じることができるか、です。
科学的に信じることは、難しいでしょう。

信じるだけで救われるのなら、たやすいことだと思うかもしれないけど、

「イエス様は、三日目に死人の内からよみがえってくださった」ってことを
マジに信じるのは、人間の力だけでは不可能かもしれません。
神さまが、その人に働いてくださると、
信じることができるし、
そうすると、イエス様の愛を感じることができ、
人間の目には、損に見えることとかも、
マジに信じることができるようになり、
そうすると、そのマジに信じたところに、
信仰が表され、
神さまが奇跡を起こさせてくださるように思います。

簡単にいえば、
マジに信じることができれば、
山をも動かすことができる、わけです。
そんなことを感じました。
どこまで信じきれるかによって、
結果が変わると思います。

エス様は、
その公生涯の中で、3分の2は、人々を癒すことに時間をつかってくださったそうです。
エス様を信じて一心に祈れば、
主が、御心をなしてくださる、と思います。

心配ごとがありますか?
精神的、身体的、経済的な心配、それらの心配があれば、
教会にきて一緒に祈りましょう。
牧師先生にも祈っていただきましょう。
大丈夫ですよ。
どこまで信じ切れるかの勝負です。
まずは、人間には、信じきることが難しくても、
心が聖霊なる神さまによって満たされれば、
それが可能になると思います。

うん、言葉にするのは、難しいですが、
信じるのは、意外と難しいが、
信じるところに、信仰があり、奇跡が起こるということだと思います。