いじめ
1.いじめの実態
俺は、中学2年のころ、学校で「いじめ」にあった。
クラスの多くのみてるところで、馬鹿にされ、
持ち物に落書きをされ、
「変な顔」をするように無理やりに命令され、
金品を巻き上げられ、
プライドをズタズタにされた。
当然、親にも相談できず、
教師にも相談できなかった。
親や教師に相談すれば、告げ口したとされ、
さらに「いじめ」がエスカレートするように思われた(現実にエスカレートした)。
いじめを行なっている中心の奴は、意外と頭のよい先生ウケのよい奴だったから、
先生は、俺のいうことより、そいつの言うことを信じている感じもした。
2.そのとき思ったこと、「自殺」
そのとき思ったことは、ずばり「自殺」だ。
つらくて、それに耐えられないから「自殺」したいというのではない(そういう部分もあったが)。
なんというのだろう、奴らに「復讐」したい!というような感じだった。
つまり、自分が死ねば、奴らに対し、「お前らがした仕打ちは、人を死なせるほどに酷いものだ」ということをわからせることができるし、
俺がどんだけ嫌な思いだったかをわからせることができるし、
奴らや教師に、罪悪感を与えることができるのでは、と思った。
時代は、かわったが、今でも、その当時の俺と同じような理由で、
今、現在、自殺を考えている方も、いるかもしれない。
もしかすると、このような「復讐」のための自殺、プライドのための自殺ってのは、
大人の方のなかでもあるのかもしれない。
3.でも、絶対、自殺しちゃだめ。
でも、自殺しちゃだめだ。なんとか耐えてください。
確かに、一瞬は(1週間くらいは)、奴らに罪悪感を与えることができるかもしれない。
でも、人間はすぐに罪悪感なんて忘れてしまう。1週間もたてば、奴らは、漫画でもみながら笑うような日常にもどってしまう。
そんな一瞬のために、あなたの貴重な命を捨てたら、絶対に損だ。本当に損だ。
俺の場合、後になって、「あのとき、復讐心のために自殺しなくてよかった」と本当に思った。
だから、そういった一瞬の復讐心やプライドのために、死を選択するのは、本当に、損だ。絶対にやめたほうがいい。
他人をいじめるような馬鹿な奴らのために、あなたの貴重な命をかけることはない。そんな馬鹿な奴らは、あなたの命に釣り合わない。
生きてると、今の自分では想定できない良いこともある。騙されたと思って、信じてほしい。
これは、大人の方にもいえる。
「他人に罵倒された」とか、「無実なのに疑われた」とか、悔しい思いをさせられたときに、復讐心とか、プライドとかで、「死んでやる」って思うことがあるかもしれない。
でも、死んではダメだ。
そんな馬鹿な奴らのために、あなたの貴重な命は釣り合わない。はっきり損だ。
4.まとめ
俺についていえば、ほんと、そのとき死ななくてよかったと思う。若気のいたりでは済まされない。そのとき死んじゃってたら、こうして今、文書を書くこともできないわけだし、クリスチャンにもなれなかったわけだ。
生きているから、恋もできるし、良い人と将来出会うこともできるし、なによりも神さまの愛を知ることもできる。
あなたを虐める奴なんて、宇宙全体をつくった創造主の目線からみたら、ちりの一粒にもみたない存在だ。しかも、あなたが死んでも、そいつらに罪悪感を持たせるのなんて一瞬だ。そんな一粒の一瞬にこだわっちゃ損だ。
世間では、「いじめられる方も悪い」とかって意見もあるけど、
「いじめる奴らが悪いに決まってる」、悪人が自己弁護するな!って感じだ。
確かに、奴らが悪く、あなたが正しい。
でも、死んで、復讐ってのは、損だからやめよう。
そんな、一粒のゴミのために貴重な命を捨てるのではなく、生きてほしい。
主なる神さまは、一人一人に、賜物を与えている。
それは、あなたの優しさであったり、
あなたの感受性であったり、
あなたの才能であったり、
あなたの経験であったりする。
死のうとするような気持ちになる経験でさえも、
時の経過によって神さまは益に変えてくださる。
そして、あなたが与えられている優しさや、感受性や、才能や、経験などの賜物を
土に埋もれさせるのではなく、
現在のあなたと同じような境遇にある人への愛のために、活かしていってほしい。
俺も、こうして救われて、命があるのだから、
自分なりに、与えられた賜物を活かしていきます。
だから、あなたも、その困難を乗り越えてください。お願いします。
「あなたの隣人を愛せよ」と神さまは、わたしにもいってくださる。
だから、俺なりに、こうして、まだ見ぬ貴方に、隣人に愛を与えるように、
精一杯、自分の思いを書きます。
自殺を現実に考えていた数十年前の私と同様の境遇・心境にある貴方へ
なんとか、自分の思いが伝わるように主なる神さまに祈りつつ、
今日の文章を贈ります。