新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

いじめ

1.いじめの実態

俺は、中学2年のころ、学校で「いじめ」にあった。
クラスの多くのみてるところで、馬鹿にされ、
持ち物に落書きをされ、
「変な顔」をするように無理やりに命令され、
金品を巻き上げられ、
プライドをズタズタにされた。

当然、親にも相談できず、
教師にも相談できなかった。
親や教師に相談すれば、告げ口したとされ、
さらに「いじめ」がエスカレートするように思われた(現実にエスカレートした)。

いじめを行なっている中心の奴は、意外と頭のよい先生ウケのよい奴だったから、
先生は、俺のいうことより、そいつの言うことを信じている感じもした。

2.そのとき思ったこと、「自殺」
 そのとき思ったことは、ずばり「自殺」だ。
 つらくて、それに耐えられないから「自殺」したいというのではない(そういう部分もあったが)。
 なんというのだろう、奴らに「復讐」したい!というような感じだった。
 つまり、自分が死ねば、奴らに対し、「お前らがした仕打ちは、人を死なせるほどに酷いものだ」ということをわからせることができるし、
 俺がどんだけ嫌な思いだったかをわからせることができるし、
 奴らや教師に、罪悪感を与えることができるのでは、と思った。
 時代は、かわったが、今でも、その当時の俺と同じような理由で、
 今、現在、自殺を考えている方も、いるかもしれない。
 もしかすると、このような「復讐」のための自殺、プライドのための自殺ってのは、
 大人の方のなかでもあるのかもしれない。

3.でも、絶対、自殺しちゃだめ。
 でも、自殺しちゃだめだ。なんとか耐えてください。
 確かに、一瞬は(1週間くらいは)、奴らに罪悪感を与えることができるかもしれない。
 でも、人間はすぐに罪悪感なんて忘れてしまう。1週間もたてば、奴らは、漫画でもみながら笑うような日常にもどってしまう。 
 そんな一瞬のために、あなたの貴重な命を捨てたら、絶対に損だ。本当に損だ。
 俺の場合、後になって、「あのとき、復讐心のために自殺しなくてよかった」と本当に思った。
 だから、そういった一瞬の復讐心やプライドのために、死を選択するのは、本当に、損だ。絶対にやめたほうがいい。
 他人をいじめるような馬鹿な奴らのために、あなたの貴重な命をかけることはない。そんな馬鹿な奴らは、あなたの命に釣り合わない。
 生きてると、今の自分では想定できない良いこともある。騙されたと思って、信じてほしい。

 これは、大人の方にもいえる。
 「他人に罵倒された」とか、「無実なのに疑われた」とか、悔しい思いをさせられたときに、復讐心とか、プライドとかで、「死んでやる」って思うことがあるかもしれない。
 でも、死んではダメだ。
 そんな馬鹿な奴らのために、あなたの貴重な命は釣り合わない。はっきり損だ。

4.まとめ
 俺についていえば、ほんと、そのとき死ななくてよかったと思う。若気のいたりでは済まされない。そのとき死んじゃってたら、こうして今、文書を書くこともできないわけだし、クリスチャンにもなれなかったわけだ。
 生きているから、恋もできるし、良い人と将来出会うこともできるし、なによりも神さまの愛を知ることもできる。
 あなたを虐める奴なんて、宇宙全体をつくった創造主の目線からみたら、ちりの一粒にもみたない存在だ。しかも、あなたが死んでも、そいつらに罪悪感を持たせるのなんて一瞬だ。そんな一粒の一瞬にこだわっちゃ損だ。
 世間では、「いじめられる方も悪い」とかって意見もあるけど、
 「いじめる奴らが悪いに決まってる」、悪人が自己弁護するな!って感じだ。
 確かに、奴らが悪く、あなたが正しい。
 でも、死んで、復讐ってのは、損だからやめよう。
 そんな、一粒のゴミのために貴重な命を捨てるのではなく、生きてほしい。

 主なる神さまは、一人一人に、賜物を与えている。
 それは、あなたの優しさであったり、
 あなたの感受性であったり、
 あなたの才能であったり、
 あなたの経験であったりする。

 死のうとするような気持ちになる経験でさえも、
 時の経過によって神さまは益に変えてくださる。
 そして、あなたが与えられている優しさや、感受性や、才能や、経験などの賜物を
 土に埋もれさせるのではなく、
 現在のあなたと同じような境遇にある人への愛のために、活かしていってほしい。
 
 俺も、こうして救われて、命があるのだから、
 自分なりに、与えられた賜物を活かしていきます。
 だから、あなたも、その困難を乗り越えてください。お願いします。

「あなたの隣人を愛せよ」と神さまは、わたしにもいってくださる。
 だから、俺なりに、こうして、まだ見ぬ貴方に、隣人に愛を与えるように、
精一杯、自分の思いを書きます。
 自殺を現実に考えていた数十年前の私と同様の境遇・心境にある貴方へ
なんとか、自分の思いが伝わるように主なる神さまに祈りつつ、
 今日の文章を贈ります。