新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

6月29日(水)祈祷会

水曜日に祈祷会に参加しました。ちょっと、時間がたったので、だいぶ忘れてきていて不正確かもしれませんが、メッセージの流れを書きます。

(1)聖書は、一番何を伝えたがっている書物なのか?というと、イエスさまを伝えたがっててるといえる。
(2)イエスさまの十字架、死、復活、再臨について、聖書は、記載する。

(3)旧約聖書は、イエスさまの(地上での)誕生より、はるか昔に書かれた。
それなのに、イエスさまという救世主(メシア)の到来を預言している。

(4)それは、旧約聖書に出てくるエリヤ、エリシャ、イザヤなど多くの預言者も、イエスさまの御霊(聖霊)を受けて、預言したから、できたこと。

(5)たとえば、イザヤという人が書いたイザヤ書は、イエスさまが我々の代わりに罰を受けてくださり、そのために、私たちの罪が許されることを、まるで、イエスさまが十字架にかかるのを見てきたかのように、描写している。

(6)イザヤがイザヤ書を書いたのは、イエスさまが生まれる700年くらい前だというのに、まるで今見ているように書いていることに驚かされる。

(7)救世主の到来を神さまから知らされた預言者たちは、当然、その救世主に会いたい!、その救いを受けたいと熱心に願った。

(8)でも、自分達は、その救世主を見ることができないことを知った。残念には思ったのだろうけど、後世の人、そう、僕らのために、その預言を聖書に記してくださった。

(9)イザヤ達の奉仕によって、たしかに、イエスさまが旧約聖書にも預言されている、真の救い主だと確信することができる。

(10)私たちは、何百年、何千年も前の、モーセ、エリヤ、エリシャ、イザヤ、サムエル・・・多くの偉大な預言者の奉仕を受けている!

(11)イエスさまを信じても、困難はやってくる。そこで、くじけて、教会から遠ざかってしまう場合もある。そんなとき、遠ざかってしばらくたってから、また、教会に通いたく思うときがくる。

(12)そんなときに、一度離れた負い目を感じて、イエスさまに、申し訳ないと考えて、教会にもどれないって思う人もいるかも。

(13)でも、イエスさまの救いは、個人的な救いでは、あるけれど、それに限られない。人類共通の大きな公的な性質ももっている。
(14)我々のより頼む「救い」は、はるか昔、我々が考えも及ばないような昔から、預言者を通じて、預言されていた「救い」なのだ。
大きな「救い」なのだ。人間のわだかまりによって、左右されるような小さい「救い」ではない。

安心して、神さまの前にきて、祈り、恵みを受けることができる。

(15)イザヤ達が、夢見てた恵みのときが、いま来ている。なんと素晴らしい時代に、私たちは、生きているのだろう。

祈祷会でも、大きな恵みをいただきました。神さまに感謝します。