主をあがめる
12月18日の神召キリスト教会の礼拝に出席しました。毎週、日曜が礼拝なわけです。
主なる神さまをあがめるとは、原語のギリシヤ語によれば、「主なる神さまを大きくする」という意味。
神さまを大きくするとき、自分の小ささに気づく。
神さまを崇めないときは、自分を大きくしてしまっている。
神さまの憐れみによって、こんなにも小さいしもべ、はしための自分が救われていると、感じることができる。
神さまが語られることは必ず実現すると信じきることができる人は、幸いだという。
確かに、信じていても、困難、問題、悩みは、ある。人間だもの!
でも、困難な中でも、神さまの語られることは必ず実現すると信じきるならば、神さまは、その栄光をみせさせてくださる。
マリヤは、処女のまま、聖霊の業により、御子を身ごもった。
当時の風習によれば、結婚前に身ごもれば、多量の石を投げられて、死刑になる可能性が高かった。
それにもかかわらず、マリヤは、神を、褒め称え、神を称える歌を歌った。
マリヤは、自分を称して、未来の人たちは、自分のことを幸せ者だというでしょうと言った。
この十六才くらいだったと言われる女性の凛とした信仰姿勢に、大いに学ぶところがあると感じた。
今日のメッセージに感謝します。