教会での会議
2月18日には、教会会議がありました。
教会会議ってのは、株主総会に似てると思います。
宗教法人法ってのが、会社法に似ていると思います。
法的には、そうなのですが、教会会議をはじめとして、教会での打ち合わせ、会議には、もっと重要な目的があることを礼拝のメッセージを通じて学びました。
それは、教会の会議は、「主なる神さまの、みこころを求める」ものであるということです。
単なる多数決原理を越えてます。昔、ぺテロやパウロのころも、教会で会議が開かれました。ユダヤ人以外の人(異邦人)への伝道において、異邦人にも、割礼などの行いを求めるべきかが議論になったようです。
ただ、そのとき、単純な多数決をとらず、神さまの、みこころを求めました。
神さまがなしてくださった業を報告しあって、わかち合いました。そして、神さまの、みこころを知りました。
この当時の教会会議で、単純に、多数決で方針を決めていたら、信仰のみで救われるということが確認されず、キリスト教は、ここまでの世界的な宗教にはならなかったかもしれないとのことです。単に、ユダヤ教の一派にとどまった可能性もあるようです。
そういう意味でも、神さまの、みこころを求めるということが、本当に大切だったことを痛感します。
今日においても、教会会議のみならず、生活のなかで、なにか決定するときにも、自分の考えのみならず、しっかり神さまにいのって、みこころを教えていただくようにしたいと思いました。