新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

今日もイースター早天祈祷会に行って来ました!

今日も朝6時半に教会にいって、神召キリスト教会のイースター早天祈祷会に参加しました。

日替わりで、その日のお話をする人が変わるのだけど、今日は、高橋正人牧師でした。

聖書箇所は、マルコの福音書11章20~25節です。
①『朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」』(マルコ11:20,21)

②いろいろ物議をかもす箇所ではある。ただ、食べ物の恨みで、実のならないイチジクが枯れたのではない。

③サマリヤの女の聖書箇所でイエスさまは、食物の話をしたことがある。
『イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」
そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」
エスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。』(ヨハネ福音書4:32~34)

④霊的な食べ物、霊的な実の話

⑤ いちじくの木は、イスラエルのこと。

ヨハネ15:16
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり」
→イエスさまは、イスラエルが実を結ぶために遣わされた。

⑦イエスさまが3年の伝道活動をし、十字架にかかるまで残り一週間もないという時になっても、いちじく(イスラエル)は、信仰による実を結ばない。

⑧むしろ、宮の中は葉ばかりが茂っているいちじくの木の様に、祈りや信仰ではなく、神殿商売による人々の賑やかな声。
→イエスさまは、戒められた(宮きよめ)

⑨また、いちじくのたとえとして、聖書は、こうもいわれている。
『イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」』
→3年間は、イエスさまが伝道された活動期間に一致
→このままならば、神の民はこのいちじくの木のように根こそぎ枯らされてしまう。

イスラエルにしても、私たちにしても、本来であれば、枯らされてしまうことを示す意味で、いちじくの木が枯らされたが、イエスさまは、私たちが枯らされないために、自らが十字架にかかってくださった!

⑪イエスさまが十字架にかかってくださったのは、私たちが主イエスさまを信じる信仰によって実を結び、その実が残るため。
→そのためにも、まずイエスさまを信じる信仰が大切。信仰が与えられるように祈っていく。

こんな感じのメッセージでした。
メッセージによいも悪いもないとはいえ、やっぱり、牧師がとりついでくださるメッセージは、素晴らしいですね。わかりやすいし、みことばによって、一つ一つの言葉がサポートされている。昨日、自分が講壇にたって話をする奉仕(しかも似たような聖書箇所)をさせていただいたからこそ、今日の牧師によるメッセージを聞いて、牧師がいてくださる恵みを知りますね。そして、より深く神さまの言葉を知ることができます。神さまに感謝します。