新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

カーネギー 7回読み


D.カーネギーの「人を動かす」という本を七回読むと、
4年制大学を3回出るくらい勉強になるらしい。
斉藤一人という人から、そのことを知った。
私も、あやかって、読み始めている。
今、三回目の半分くらい読んだ。

すべての人に薦めたい。

この「人を動かす」という本には、結構、聖書が引用されているし、
また、引用とまではいえないが、ベースが聖書だろうと思えるところが、
結構、ある。
世界的な名著は、聖書がベースになっている本が多いといわれるが、
この本も、そのとおりだ。たとえば、以下のような感じだ。

(1)人間ってのは、自己の重要度を認めてもらいたいものだから、ほかの人に対しても重要度を認めてあげる言動が大切
→聖書「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、 ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)

(2)他人を非難しても、よいことはない。かえって、その他人は、自尊心が傷つけられてしまい、こっちの話を聞いてくれなくなる。
 他人の欠点を直してやろうという気持ちは、たしかに立派であり称賛に値する。だが、どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう。
→聖書「さばいてはいけません。・・・
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか」(マタイ7:1〜4)

(3)あいての欲しがるものを見抜き、与える。あいての立場で考える
→聖書「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
 律法を持たない人々に対しては、―ー私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました」(Iコリント9:19〜22)

(4)どんな人間でも、何かの点で、わたしよりもすぐれている。わたしの学ぶべきものを持っている。
→聖書「尊敬を持って互いに相手を優れたものと思いなさい」(ロマ12:10)