新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

神召キリスト教会 2019年4月10日 祈祷会

祈祷会に行って来ました。
メッセージは、第1サムエル記22章でした。

(1)教会にあって、イエスさまと繋がっていれば、私も、少しずつでも成長でき、よい働きができるように成長させていただける。
(2)人間への恨みをいいたくなるときでも、神さまに関心の焦点を向ける。
(3)試練のなかにあっても、神さまを証する。等
を学びました。


ダビデは、サウル王から逃れるために逃亡生活を強いられた。

②そんな苦難の中にあっても、ダビデのところに集められる多くの人が与えられた。
ダビデを中心にコミュニティ
→イエスさまを中心とした教会の雛型

③この集められた人が後のダビデの勇士として成長した。
→現在の教会も同じ。神さまは無学な、ただの人を選び、召してくださる。
→イエスさまと繋がっている限りは、つくりかえられ、よい働きができるように成長させていただける!

ダビデはそこからモアブのミツパに行き、モアブの王に言った。「神が私にどんなことをされるかわかるまで、どうか、私の父と母とを出て来させて、あなたがたといっしょにおらせてください。」(第1サムエル記22:3)
→自分を酷い目にあわせたサウルへの恨みつらみではなく、神さまが自分にどんなことをされるかに着目。
ダビデの信仰姿勢
→現在社会においても、人の悪意に関心をもつのではなく、神さまに着目する。

⑤モアブの地
→異邦人の地
→本来、神さまを証しできるような場所ではない。
→そんななかでも、ダビデは、神さまを証し、告白している。
→現在の我々も同じ。試練のなかにあっても、神さまを証しできる。素晴らしい証しができるような状況でなくても、証しできる。
→主に委ねていく!みことばを通して確信が与えられる。

多くの恵みが与えられた祈祷会でした。