神は乗り越えられる試練しか与えない
JIN仁という人気のドラマがあります。
そのドラマのセリフに「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が使われています。
この印象的なセリフは、聖書の中の言葉が元になっていると思います。
具体的には、「コリント人への手紙 第一」の第10章第13節にある、
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
という、みことばが出処でしょう。
ご存知のように、日本での神は、八百万(やおよろず)の神っていって、縁結びの神とか、昔の大名(武○信○さんとか)が神になってたりとか、山とかも御神体として神さまになったり、といったように、色んな多数の神がいると想定されています。
しかし、上記の「神は乗り越えられる試練しか与えない」というときは、まだ神さまを信じてない人も、そういう八百万(やおよろず)の神ではなく、唯一の神をイメージしてるように思います。
そう考えると、クリスチャンではない人も、それを糸口に、唯一の神という概念(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教での神)を理解できるように思います。
なお、このセリフを通じて、聖書に興味をもった方のために、簡単に聖書について説明しますね。
聖書は、ほんとは1巻の本ではなく、66巻の集まりを一つにまとめたものです。
聖書は、旧約聖書という部分と、新約聖書という部分があり、旧約聖書が39巻を含み、新約聖書が27巻を含むわけです。なお、旧訳聖書、新訳聖書ではなく約束の「約」の字を使って旧約聖書、新約聖書です(古い契約、新しい契約という意味です)。
さっき紹介した「コリント人への手紙 第一(第一コリントと省略して呼ぶこともあります)」というのは、新約聖書の中の七番目(私のもってる聖書の場合)に含まれている巻なわけです。
なお、聖書を購入するときは、旧約聖書と新約聖書の両方が入ってるのを買った方がよいと思います(旧約は、古い約束だからいらないと考えて、旧約聖書が含まれてない聖書を買ってしまう人が多いです)。
また、聖書には、出版社の違い等によって共同訳とか新改訳とか口語訳とかがありますが、教会によって、なにを使うかがあるので、まず、聖書を買う前に、自分が行こうとしている教会に、聖書は、なにを使ってるかを訊いてみるのもよいと思います。ちなみに、私のいってる教会は、新改訳を使ってます。
ほんとに、神は、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。私もそう思います。
でも、必ずしも試練を乗り越える必要はないのかもしれません。
聖書には、「耐えられるように、試練とともに脱出!の道を備えてくださいます」ってありますし。
試練を乗り越えるというと、なんか人間が自分の力で、がんばる!って感じがしますが、
試練を耐えられるように、脱出の道も備えてくださっているっていうと、むしろ、目に見える自分の力に頼りすぎないって気になるし、脱出!してもいいんだ、頑張らなくてよいよ!、神さまを信頼して委ねていけばいいんだっていう神さまの愛に気付きます。
神を信じても、苦しさ、試練はなくならないことは聖書自体が記しています(ヘブル人への手紙12章とか)。(すでに地が歪んでいるからなのか)理不尽なことも起こります。
でも、神は、それでも、僕らとともにいて、いのちがけで、私達一人一人を愛してくださっている。神さまは、愛だから。
私は、新米クリスチャンだけど、それだけは確かだと思います。
ドラマのセリフを通じて興味をもった方も、そして、いま試練にあってる方も、教会の門をたたいてみたらいかがでしょうか。
教会は、クリスチャンだけのものではなく、万人に開かれているものです。
疑問だけでも訊きにいってみたらと思います。