新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

ブリッジ(Most)

エスさまの十字架を考えるときに、
ブリッジ(Most)という話を思い出します。

たしか、こんな話です。

①父親と息子が仲良く暮らしていた。母親は早くになくなっていた。

②父親は、列車が来るのにあわせて、橋を操作する仕事だった。

③湖を船が通れるように、普段は、橋が跳ね上がっていて、列車がくるときだけ橋がかかる構造になっていた。

④一時間後にくるはずの列車が過って、橋に近づいてきた。監視部屋にいる父親からは、まだ見えない位置だった。

⑤列車が近づいてくるのを見た息子は、まだ、橋が跳ね上がったままであることに気づいた。このままだと、列車は、湖に落ちてしまう。

⑥息子は、鉄橋の側にある非常レバーを操作して橋を駆動させようとしたところ、橋の土台の部分に落下して気絶してしまう。

⑦監視部屋にいた父親は、息子が橋の土台の部分に落ちたことを気づいた。さらに、列車が近づいているのも見えた。

⑧列車は、どんどん近づいてきており、このままだと湖に落ちる。橋をかける操作が必要だが、橋を駆動させると、橋と土台の間に息子が挟まれて死んでしまう。父親の位置からは、距離があるので、いまから息子を助けにいく間には、列車は湖に落ちてしまう。

⑨父親は、2つの選択を迫られる。
監視部屋においてレバーを引くと、息子は死んでしまう。
レバーを引かなければ、息子は助かるが、400人の乗客の命が失われる。

⑩父親は、なくなくレバーをひいた。
最愛なる息子は、鉄橋に挟まれて、みるも無残に、ずたずたにされ、傷つき、死んでしまう。そのおかげで、列車は、無事に鉄橋を通過する。

多くの乗客は、そんなことが起きていたことも気づかない。その脇で、父親は、泣きはらしていた。


この話を思い出すと、滅びという列車に乗っていた私たちの救いのためには、大きな犠牲が払われていることに気づかされる。

実際のところ、イエスさまにとっては、死ぬことよりも、父なる神さまと切り離されることは苦難だったかもしれない。また、父なる神さまにとっても、御子を死にわたされることよりも、さらに、御子との関係を切り離すことは、厳しい決定だったかもしれない。
それでも、神さまは、御子を与えてくださった。それは、御子イエスさまを信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を受けるためです。

神さまの愛は、本当に大きいものだなって思います。