新米クリスチャンのGod is Loveの日記-JR板橋駅そば神召キリスト教会に集ってます

職業は弁理士です。技術系の大学院を出てます。ひょんなことから、クリスチャンになった新米クリスチャンです。神召キリスト教会に通ってます。

棕櫚(しゅろ)の日曜日 神召キリスト教会 2019年4月14日主日礼拝

毎週、日曜日(主日ともいいます)、神召キリスト教会の礼拝に参加しています。
いよいよ、来週の日曜日がイースターです!
今日も、北区滝野川にある神召キリスト教会の礼拝に参加しました。

説教題「救いの王が来られる」
ゼカリヤ書9章:9ー12節、ヨハネ福音書12章12ー19節でした。

(1)王の王であるイエスさまに対して、自分の都合がよいイメージを当てはめない。

(2)王よりも自分を強くしない。

(3)真に神さまと出逢う 必要があるので、とりなしの祈りをしていく。

(4)ぬるいクリスチャンではなく熱く燃やされるためには、自分の努力ではなく、聖霊の満たしをうけることが必要。聖霊への飢え渇きが大切。

これらのことを学びました。
恵みに満ちた礼拝でした。


①本日は、イースターの前週の日曜日
→棕櫚(しゅろ)の日曜日と呼ばれる。

②しゅろは、最近の聖書の翻訳では、なつめ椰子となっている。

③群衆は、しゅろ(なつめ椰子)の枝を持って、イエスさまのエルサレム入城を歓迎(ヨハネ福音書12:13)。
→なつめ椰子は、イスラエルを代表する植物
日本でいえば、桜の枝を持って歓迎みたいなもの。

④イエスさまは、十字架にかかる決心。
→ろばの子に乗ってエルサレムに入城。

⑤400年も前のゼカリヤ書によって預言されていた。
→「あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和は者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」(ゼカリヤ9:9)。
→創世記49:11でも預言。

⑥誰もがイエスさまを歓迎したのに、数日経つと、あの者を十字架につけろ!という。
→なにがおこっていたか?

⑦イエスさまが入城した目的と、人々の期待内容が違っていた。

⑧人々には、イスラエルの王といえば、偉大なるダビデ王のようなイメージ。
→マカベヤ戦争で勝利をもたらしたマカベヤのような軍事的に解放してくれる王を期待。
→そのイメージをイエスさまに押し付けた。

⑨イエスさまの奇跡(ラザロが生き返った等)を見て信じた人
→イエスさまは、奇跡を見て信じた人々のことをあまり信用されていなかった(ヨハネ福音書2:24)。
→とはいえ、イエスさまは、群衆が喜んで迎えることを受けてくださった。

⑩人々の霊的な目が閉じられていた(ヨハネ福音書12:16)。
→ゼカリヤ書は、王が軍馬や戦車ではなく、王には、およそ似合わない、ろばの子にのって来て、平和がもたらさせる、不思議な預言が記載されている。イエスさまは、自分が軍事力によって民を解放する王ではないことのヒントをゼカリヤ書になぞらえて与えているともいえる。
→よく知っていたはずの旧約聖書 ゼカリヤ書に、かかれているのに、それがイエスさまによって成就されたことに、民は気づいていなかった。
→後に、聖霊バプテスマを受けてはじめて、イエスさまが、ゼカリヤの預言を成就されたことに気づいた。

⑪人の思い、計画ではなく、霊的な平和がなされた。

⑫一見すると罪人の一人として惨めに十字架で死ぬ。
→真の救い。神さまの愚かに見える十字架での死による、あがない
→私たちを救う唯一の道。

⑬人々は、自分たちの思う方法にこだわる。
→失望観
→神さまは、人が思いもしない方法で救ってくださる。

⑭神さまを自分の思う都合のよい王さまのイメージに当てはめない。

⑮自分を王にしない。

⑯王さまの命令に素直にしたがう。
→自分を王より強くしない。

⑰聖書のみことば
自分に都合のよい、自分を励まして、強くしてくれるみことばは喜んで聞き、都合の悪いみことばは、避けるのは、よくない。
→神さまの言葉
→王の王による言葉として聞き従う。
→イエスさまをもう一度十字架につけるようにしてはいけない。

⑱武力ではなく、尊い十字架による、あがないによって、私たちを救いだしてくれた。
→それゆえ、私たちは、神さまの前に出ていくことさえできる。

⑲神さまと真に出逢う
→それによって、はじめてわかる、
神さまと真の意味で出会わなければ、
礼拝、献金、奉仕、、などの意味も完全にはわからない。
→わかるのは、イエスさまを神体験して、真にしったとき。
→それゆえ、私たちは、だれか救われてほしい人がいるとき、
神さまが触れてください。
目を開かせてください、と、とりなして祈る。

⑳すでに救われているクリスチャン
50%の力でやっているから良いとか、ぬるいことをいってはダメ。
→神さまのために自分をささげさせていただく。
→自分の努力や思いでは、どうにかできない。

弟子たちは、聖霊バプテスマを受けて、十字架は、自分のためだったことに気づいた!!
それゆえ、命をもかけて福音伝道できた。

(21)聖霊に対する飢え渇きが大切
聖霊に満たされることを切望し、求める。
→目を開かせてもらう。
→神さまさえいて下さればよいと思えるように変えられる。
聖霊さまに燃やされる。→熱くなる。
人の力では困難なこと。聖霊によりたのんでいく。

恵みに満ちた礼拝でした。
教会は、クリスチャンだけのものではないらしいので、どなたでも、教会に行ってみてよいのでは?と思います。
寺に行ったからといって檀家になれといわれないのと同じで、教会の礼拝に参加しても、教会員になれとは言われないから、怖くないよ!

【神召キリスト教会へのアクセス】

①JR板橋駅下車。

②ホームから階段(エスカレーターでもOK)を降りて、改札を出て、右側の出口(東口 滝野川方面)を出る。

③駅前のロータリーの左前に、マクドナルドがあるので、マクドナルドの信号を、喫茶店「しゃとう」側へ渡って、しゃとうの前をすぐ左。

④中華料理屋「同心房」、とんかつ松のや、サイゼリヤを通り越して、突き当たりの信号を渡って右折。セブンイレブンがある。

⑥左折して、セブンイレブンと、茶色の三階建ての建物との間の通り(きつねづか通り)に入って、20メートルです。
駅から4~5分です。